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著名な人びと
-この人とエスペラント-


目 次

【あ行】
【か行】
【さ行】
【た行】  徳富 愛子    
【な行】  新渡戸 稲造    
【は行】
【ま行】
【や行】
【ら・わ行】

徳富 愛子(とくとみ あいこ) [1874-1947]
<日本の女性エスペランチストの先駆者>

・文筆家。徳富蘆花(とくとみ ろか)[1868-1927]と1897年に結婚。 自らも文筆活動をし、また没後『蘆花全集』をまとめました。

・エスペラントを学んだのは1920年、夫の徳富蘆花と世界旅行の船 上です。この時の紀行文『日本から日本へ』を蘆花と共に執筆し、 その一節をエスペラント訳しています。この訳文は未発表でしたが、 原稿そのものは蘆花全集第14巻(1930年)に口絵写真として収録さ れています。この全集は愛子自身が編集しており、これからも愛子 のエスペラントに対する思いが並々ならぬものと思われます。

・なお徳富愛子のほかの著作や短歌にはエスペラントに関するもの は見つかっていません。


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新渡戸 稲造(にとべ いなぞう) [1862-1933]
<国際連盟でエスペランチストを擁護>

・教育学者・農学者・思想家。著述に『武士道』など。

・1920年-1926年に国際連盟の事務次長を務めました。ところで、1920年には 国際連盟総会にエスペラントを作業言語として採択する案が出て否決されています。 新渡戸はその後、1921年にプラハで開かれた第13回世界エスペラント大会を視察し、 エスペラントの意義と実用性を認め、国際連盟に好意的な報告書を出しました。 同年の国際連盟総会にふたたびエスペラント採択の提案が出されて、新渡戸は 擁護しましたが、フランスなどの当時の言語大国の反対にあって案は否決されました。

・なお現在は新渡戸の業績をしのんで、国際的な言語・文化を話題にする 「新渡戸国際シンポジウム」が開かれています。

・参考: 『エスペラント界の恩人・新渡戸稲造』

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(注:  = 日本エスペラント学会のサイト内,     = サイト外)
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