翌朝。
バーで飲んだあと、カラオケでシェイクされた頭は、案の定、二日酔いだった。「ふ〜 限度というものがあるだろうに……」
始業前、椅子によっかかって死んでいるとセリオがやってきた。「――おはようございます。永野さん。」
声と口調は元気いっぱいだが、表情はいつものままだ。「おはよ、セリオ」
死んだまま軽く手を挙げる。「――二日酔いですか?」
顎に指をやり小首を傾げる。
これだけでも十分可愛いと思うんだけどなぁ。「うん、そう。こんなにひどいのは久しぶりだよ」
「――……」
セリオは少し考えると、
「――しばらくお待ちください」
そう言って部屋から出ていった。数分後。
「――お待たせしました」
セリオが戻ってきた。「――胃薬とお水です。少しは楽になると思います」
え?!
・・・・
呆気に取られた。
まさかセリオがこんなことしてくれるなんて。「――どうかしましたか?」
小首を傾げるセリオ。「あ、ありがとう。いや、なんでもないよ」
”学習の効果”なんだろうか?
でも、こんなことは教えてないよな……「セリオ、またなんで胃薬を?」
聞いたほうが早そうだ。「――先日、星野さんとのお話の中に出てきたものですから。サテライトサービスの情報とも一致したのでお出ししました。いけなかったでしょうか?」
じっとこちらを見ている。「い、いや、どこで学んだのかと思ってね。そっか、星野さんに教えてもらったのか」
僕は薬を水で流し込んでから、できる限りの笑顔でそう答えた。「――星野さんは色々なことを教えて下さるので、大変ためになります」
目を細めながらセリオはそう答えた。
今のセリオにとっては「目を細める=微笑みの表現」だ。
表情を出せないセリオだが、目の感じで表現できるように設定してある。「本当にありがとう。うれしいよ。星野さんにもよろしく伝えて」
そうセリオに礼を言ったとき、始業のチャイムが鳴った。「――では、失礼します」
セリオは一礼すると事務室へ戻っていった。・・・・
そうか、学習の効果がこういう形で現れるんだ。
そういえば、目の細めかたも以前より自然になった気がする。
なんとなく微笑みとあきらめ顔の違いがわかるようになってきた。学習か……
「―セリオは笑い方を知らないだけなんですよ。笑えるんですよ」
不意に昨日の居酒屋で聞いた言葉が頭をよぎった。笑いかたを知らないだけ……
知らないだけで本当は、笑える?
笑い方さえわかれば、学習すれば、笑えるようになるってことか?僕はセリオの居る事務室へ走った。
「セリオ!」
仕事をしているセリオの声をかける。「――なにかご用ですか? 永野さん」
こっちを向き小首を傾げるセリオ。「ちょっと今いいか?」
勢い込んでセリオに尋ねる。「――今やりかけの仕事は、あと20分ほどで一段落すると思います。もしお急ぎでしたら中断しますが…… どうしたんですか?慌てて」
小首を傾げたまま、セリオが不思議そうに尋ねてくる。「5分ですむから。セリオ、口をこう…… 閉じたまま横に伸ばすようにできるか?」
僕はセリオの口元に手をやって、横に引っ張った。
にこっと微笑むと口元は横に拡がる。
そんな感じだ。「――試したことはありませんが、やってみます」
そう言うと口元を動かそうとしている。
しかし、思ったように動かないらしい。「――すみません。うまくできないです」
「そうか…… そうしたら、”い”って言ってみてくれないか?」
「――い」
「次は”いー”だ」
「――いー」
ふむふむ、やはりそうか。
”い”や”いー”という発音の時は口元が自然と横に拡がる。
無意識のうちにできるわけだから、意識してもできるような気がする。「じゃあ次は、発音せずに”いー”って言ってみてくれないか?」
「――……」
そうそう、その口元だ。「お、できたできた」
「――これが、どうしたんですか?」
「セリオ、今の口の形、意識してできるようにならないかな? もしかしたら笑えるように、少なくとも微笑むことができるようになるかも知れないから」
そう、今の口元で口を閉じて、目の表情が着けば微笑みになる。「――わかりました。ではそのように練習してみます」
「星野さん、申し訳ないけどもしよかったらセリオをちょっと見てやって下さい」
そう、事務の星野さんに頼む。
なんやかんや言って、セリオと接する時間は彼女が一番長い。「ええ、いいですよ。これでセリオさんが笑えるようになるのなら、よろこんでお手伝いします」
星野さんは笑顔でそう答えてくれた。
ありがたいことだ。「――星野さん、申し訳ありませんがよろしくお願いします」
セリオが星野さんに頭を下げる。「いいのよセリオさん。気にしないで。いつもお世話になってるんだから」
そう、星野さんは微笑んだ。「セリオ、微笑むって言うのは、目と口がああいう動きをするんだ。覚えておくといいよ。セリオの口と目がああ動けば、セリオも微笑むことができると思うから」
僕もセリオに微笑んで見せた。「――はい、覚えておきます」
「でも、むやみやたらにそういう風な動作をしてもダメなんだ。微笑みや笑いって言うのは、うれしいときやおかしいとき、それと好意の印として使うものだから。その辺も星野さんによく聞いてみるといいよ」
「――わかりました」
微笑めるのなら、きっと微笑んでくれるような、そんな声でセリオは答えた。「それじゃ、星野さん、よろしくお願いします」
そう言って軽く頭を下げると、僕は部屋に戻った。部屋につくなり、僕は調べものを始めた。
”表情の付け方”というようなドンピシャな資料はないだろうけど、表情に関係した書籍がないか検索をかける。
あればセリオの練習に役立つだろうから。
それから数日。
セリオは少しずつだが口元を動かせるようになっていた。
しばらくかかるかも知れないけれど、そのうちにっこりと笑えるようになるだろう。
そう思いながら、僕は今月度の報告書を作成していた。
セリオの稼働状況、業務達成率、不具合等の発生状況、その他……「特記事項:表情関連の調査結果…… 種々調査するも外見の変更等が見受けられるのみ。カスタマイズメーカーもHM-12マルチタイプのカスタマイズが主であり、HM-13セリオタイプのカスタムを手がけているメーカーは見つからなかった。しかしながら、発声時に口元が動くことからセリオ自身が口元を恣意的に動かすことができるものと考え、現在訓練中。若干の効果が見られる」
ふう。
ここまで書いたとき、画面に新規メール到着のお知らせが表示された。
……労組から?
いやな予感が頭をよぎった。
のろのろと、メールを開く。
いやな予感というのは当たるものである。
なんでこう、次から次へとやっかい事が降ってくるのだろうか?
労組からのメールは、セリオの労働条件に関するものだった。
あまりに彼女が働きすぎると他の社員に対して悪影響だから時間外での勤務を極力無くすように、という趣旨の要請が書かれていた。
早い話、セリオが働きすぎると他の社員が働いてないように見えるから勤務時間外は仕事をさせるなというのだ。「はぁ…… 勝手なことを。おれにどうしろってんだか」
僕はこのメールを部長宛てに転送すると、椅子の背もたれによっかかって溜め息を吐いた。
天井をボーッと見上げる。
しばらくするとセリオが入ってきた。「――失礼します。コーヒーをお持ちしました」
首を横にやって時計を見る。「あ、ありがとうセリオ。もう3時か……」
つぶやくように言う。「――お疲れのようですけど、大丈夫ですか?」
セリオが心配してくれる。「いやさ、次から次へと難問が出てくるからね」
「――ご迷惑をおかけします」
そういうとセリオは深々と頭を下げた。「セリオは気にすることないよ。仕事だからね。謝らなくていいから励ましてくれないかな?」
僕は笑いながらそう声をかけた。
「そっちのほうが、元気が出るから」
そう、付け加える。「――そうですか?」
セリオが小首をかしげる。「――がんばってくださいね。永野さん」
そう言ったセリオの顔は、ぎこちないけど、でも確かに微笑んでいた。
まだまだ無理難題が山積みだろうけど、きっと、がんばっていける。
そう思えた瞬間だった。fin 981012