「鳳翔さんの特製カレーライス」


「はあ……。言いたいことはわかるけど、なにもあんな言い方しなくてもいいのに」

 駆逐艦五月雨がため息交じりに呟いた。どうしたもんだろうかと考えつつも、
今は秘書艦業務の真っ最中。抜け出すこともできなければ長々と気持ちを割いている
暇もなかった。

「私もどうしてあんなことを言っちゃったのかなあ。言い返せばケンカになるのはわかってたのに……」


 とある鎮守府にある、とある司令部。そこには戦艦と空母、重巡を基幹とする主力艦隊
と、軽巡と駆逐艦による水雷戦隊からなる遠征艦隊があり、それぞれ日々の任務に就いて
いた。遠征艦隊の主軸である第一水雷戦隊には軽巡洋艦天龍を旗艦とし駆逐艦五月雨、
涼風、曙、叢雲、霰が所属していた。彼女たちはこの司令部が発足し鎮守府近海掃討を
開始した頃からの最古参である。今でこそ第一線を戦艦や重巡に譲り遠征任務に就いて
いるが、最先任秘書艦である五月雨は状況に応じて今でも秘書艦任務に就くことがあるし、
他の艦娘たちも各駆逐隊の訓練に駆り出されることがある。司令部の中でも彼女たち六人
への信頼は厚い。
 その六人のうちの一人、五月雨が秘書艦の徽章を付けて任に当たっていた。当たって
いたのだがなにやら浮かない顔をしている。

「提督。一七〇〇からの会議の資料、整いました。あの、他の方々を差し置いて本当によろしいのですか?」

 五月雨がこの司令部の提督に声をかけた。秘書艦業務とは文字通り提督の秘書役のこと
であるが、提督のスケジュール管理の他に作戦立案への参画や遠征計画の立案、他司令部
との連絡など、すべきことは多い。今日も夕方からの会議の資料作成を行っていたところ
だ。

「ん? ああ、選抜のことかな。うん、うってつけだと思うんだが、どうだろう。
みんなの信頼も厚いし。五月雨はそうは思わんか?」

 提督はざっと資料に目を通すと、うんうんと頷きながらまるで我が娘でも見るような
目で五月雨を見た。

「いえ、不満があるわけではないのですが、その……今のままで大丈夫かなって」

 五月雨が少し伏し目がちにそう答えた。そんなことはないだろう? と返しつつ、
きっと謙虚な五月雨のことだからそんな風に思うのだろうここは話題を変えるか、
と提督は思った。

「ところで、ここ二、三日の演習結果に目を通していたんだが、曙はどうかしたのか? 
練度格下相手に数発被弾したとあるが、あいつらしくないな」

 提督の言葉に五月雨がビクッとなった。はたから見てわかるくらいの反応だ。

「その、それは、私の旗艦としての指示が悪かったせいで、曙さんのせいじゃなくて、
その……」

 若干目が潤んで大きな瞳がさらに大きくなる。どうやら地雷を避けようとしてさらに
大きな地雷を踏んだようだ。水雷戦隊が多少なりぎくしゃくしている、そう提督は思った。

「ふむ。一七〇〇まではもう少しあるから、事情を聞かせてもらえるかな」

 提督はあごに手をやり軽く目を閉じてから、五月雨にそう言った。

「はい、実は……」


 同日夕刻。とある司令部に併設された食事処「鳳翔」。夕方から開かれるその店は
軽空母鳳翔が任務の傍ら切り盛りする艦娘たちのお気に入りの小料理店である。
昼間の憩いの場が甘味処「間宮」であるならば、訓練の疲れを癒やす場が食事処「鳳翔」。
そんな位置づけであった。今宵も様々な艦種の艦娘たちが次々と訪れては鳳翔の料理に
舌鼓をうち、全国から選ばれた銘柄でのどを潤し、互いに語らい合っていく。そんな
光景が繰り広げられていた。

「鳳翔さん、一線を退いたとは言えまだまだ教えていただくことがたくさんあります。
また手合わせをお願いします」

 ある艦娘は鳳翔に鍛えてもらった思い出を語り、次の稽古を申し込む。

「鳳翔さんの艦載機には一度ならず助けてもらったなあ」
「姉さんが艦隊からはぐれてしまうからみんな大慌てだったんですよ」

 ある艦娘は艦隊からはぐれてしまって鳳翔に見つけてもらった時の話をし。

「はぐれると言えば、鳳翔が艦隊からはぐれたこともあったな」

 ある艦娘は鳳翔が艦載機の収容のために天候の良い場所を探していて艦隊からはぐれた
ときの話をし始める。
 そんな艦娘たちの相手をし料理を作り酒を注ぎ……と、のれんを出してから休む間も
なく動く鳳翔。そんな鳳翔が一息ついたのは、そろそろのれんを下ろそうか、と言う
頃合いになってからだった。ふう、と軽く息をついてカウンターの隅に目をやる。
そこには開店直後にやってきて、周りの様子をうかがいつつ、なにやら難しい顔で
考え事をしている一人の駆逐艦の姿があった。鳳翔は湯飲みを用意しお茶をいれてから
その駆逐艦に声をかけた。

「今日はおひとりなんですね。お茶はいかがですか?」

 鳳翔がカウンター席の一番端に陣取っている曙に声をかけた。そもそもこの店に駆逐艦
が一人で来ることは珍しく、それだけでも目立った存在だったのだが、開店直後から閉店
ギリギリのこの時間までここにいることは輪をかけて珍しく、鳳翔も放っておけなかった
のだ。

「なによ。駆逐艦が一人でこんな時間までいちゃまずいって言うの?」

 曙がぶすっとした顔でそう言う。

「いいえ。いるのは全然構わないわ。むしろうれしいくらい」

 鳳翔が微笑みながらそう返した。

「なら放っておいてよ。もう時間も時間だしお愛想して帰るから」

 曙は鳳翔が置いた湯飲みを手に取ると両肘をカウンターについて両手で湯飲みを包む
ように持ち小声で、いただきます、と言ってから口に付けた。白磁器の湯飲みから湯気の
立つお茶が曙の唇の上を滑って口の中へと消えていく。

「はあ、おいしい」

 飲み頃の温度と香りに思わず曙の口からため息のように感想が漏れた。図らずも
自分の口から出た言葉に驚く曙。

「それはよかった」

 と鳳翔がにっこりと笑った。

「こ、ここのお茶っておいしいわね。魔法でも……かかってるみたい」

 曙は自分の発した言葉を取り繕うようにお茶の感想を口にすると湯飲みをじっと
見ながら言葉をついだ。さっきまでのとげとげしさはお茶と共に溶けてしまったようだ。

「ちょっとだけ、誰にでもできるコツがあるんです。それさえつかめば私でなくても
おいしいお茶がいれられますよ。珈琲も紅茶も同じです」

 素直に褒められてうれしかったのか鳳翔がそんな風に返した。

「そうなんだ……」

 湯飲みの中のお茶を見つめながらなにやら考えるように曙がつぶやいた。

「ええ、お茶に限らずなんでも一緒です。曙さんにだってできますよ」

 相変わらずにこにこ笑いながら鳳翔が答える。

「……鳳翔さんってすごいわね」

 曙が見つめていたお茶から視線を上げて、鳳翔にぎこちなく微笑んだ。

「ん?」

 曙の言葉を図りかねたのか鳳翔がほんの少し首を傾けた。

「だって……。だってあたしじゃそのコツがわかってもこんなにおいしいお茶はいれられ
ないから」

 湯飲みを両手で持ったまま、曙が視線を斜めに落とした。いつもと様子が違うな、と
鳳翔は思った。最初こそいつものような自信気な強い調子だったが二言三言で妙に
しおらしくなってしまった。体調でも悪いのかと思ったがどうやらそうでもなさそうだ。
それに、体調が悪いならわざわざ店には来ないだろう。この子はそう言う子だ。鳳翔は
普段店に来るときの曙を思い浮かべてみた。

「そう言えば、他の方々はどうされました? いつもは一緒に来ることが多いですよね」

 話の矛先を、鳳翔はあえて変えてみる。曙がほんの少しだけピクッと反応した。

「あ、あの子達は今日は都合がつかないって」
「そうなんですか……。ふふ、早く仲直りできるといいですね」

 いくつかの選択肢から鳳翔は返すカードをそう選んだ。特に根拠はない。ここの女将を
やっていて身についた勘のようなものだ。曙は口は悪くても水雷戦隊の艦娘たちと仲が
いい。仲がいいどころか戦友として苦楽を共にする仲間としてかなり気遣って色々気を
回している。鳳翔はそれを知っていた。だからなんとなくそう返してみたのだ。

「な、なんで鳳翔さんがそれを……」

 曙は落としていた視線をガバッと上げ鳳翔を見た。どうやらあたりだったらしい。

「なんとなく、です。もう一杯いれましょうか?」
「……いただきます」

 鳳翔の言葉に曙が湯飲みを差し出した。

「ちょっと待ってくださいね」

 そう言うと鳳翔はお茶をいれ始めた。


 ガラガラガラ、と音がして店の入口の引き戸が開いた。

「まだいいかな?」

 聞き覚えのある男性の声に、鳳翔は微笑み、曙が身構える。

「遅い時間にすまんな。邪魔するよ」

 そう言いながら入ってきたのは提督だった。書類袋と長い筒状のものを抱えている。

「いらっしゃいませ。いつもより遅いですね」

 鳳翔がそう言って迎える。

「つまらない会議が長引いてね。もっと早く寄るつもりがギリギリになってしまったよ。
お? 曙じゃないか、ここで会うのは珍しいな。横、失礼するよ」

 提督は返すと曙の隣の席に陣取った。提督が曙と出くわすのは大概トレーニング室で
あり、「鳳翔」で見かけるのは祝勝会などを除けば滅多になかった。

「あ、あたしはもう帰るところだから。鳳翔さんお愛想を」

 曙がばつが悪そうに席を立とうとする。

「まあいいじゃないか。いれてもらったお茶の一杯分くらい付き合ってくれよ」

 提督はそう言うと、鳳翔に冷や酒と適当なつまみを頼んだ。曙の目の前には湯気の立つ
湯飲みが置かれていた。

「……そ、そうね。せっかくいれてもらったんだし、そうするわ。二杯目だけど」

 曙は逡巡の後そう言うと、あげかけていた腰を椅子に下ろし、さっきと同じように
湯飲み茶碗を手に取った。提督は鳳翔が用意したお通しに箸を付けると、続いて出てきた
冷や酒のコップを手に取って口に運び、うまそうに飲み込んだ。

「熱燗じゃないんだ」

 そんな提督の様子に、曙が視線を動かさずにそうつぶやいた。曙が知る日本酒好きの
艦娘たちには熱燗を好むものも多かった。

「うん? ああ、そうだな。燗をしたのはそれはそれでうまいが、冷やもまたおつな
ものだ」

 珍しく曙から話しかけてきたことに少しだけ提督は驚いたが、それはおくびにも出さず
淡々と冷やのコップに口を付ける。あっという間にコップが空になった。

「ふふ、提督は気を遣ってくださってるのよ。閉店間際の時間にすぐ出てくる肴や
すぐ飲めるようなものをあえて頼んでいらっしゃるわ」

 簡単に出せるつまみを何品か並べてから、空のコップに冷や酒を注ぐ鳳翔。

「え?」

 曙が視線を横に向ける。

「オレはそんなに気の利く方じゃないぞ。気が短いから、すぐ飲めてすぐ食べれるものが
いいんだ」

 提督が笑ってそう返した。ダウト、曙は心の中でそうつぶやいた。提督は短気なんか
じゃない。恐らく鳳翔の言う通りだろう。こんな時間にやってくるのも、早い時間に来て
居合わせた艦娘たちに気を遣わせないようにするために違いない。曙はそう思った。

「こんな時間までいるなんて、どうかしたのか」

 提督が誰に話しかけるとはなしに話しかける。むろん話しかけた相手は横にいる
曙だろう。

「べ、別になんでもないわよ。たまにはいいかなって思っただけ」

 無視しても良かったがこの状況で露骨にそうするのも憚られて、曙はそう無難に返した。

「そうかそうか」

 提督がうんうんと頷く。なにが、そうかそうか、よ、あんたになにがわかるのよ、と
曙が口の中で言葉にならない程度にもごもごと悪態をつく。

「曙さんには新作メニューに意見をもらってたんですよ」

 鳳翔が助け船のつもりだろう、そんなことを言い出した。

「なるほど、確かに意見を求めるにはうってつけだな」

 納得したように提督が返す。

「だから、なんでそこでそうやって納得するのよ」

 曙がまたもごもごと口の中で言い返すが今度は言葉に出てしまったようだ。しかし
提督は何食わぬ顔で冷や酒のコップを傾けていた。

「ああ、鳳翔さん。今日は金曜日だし例のあれあるかな」

 そしてグッとコップを煽って空にすると、鳳翔にそう尋ねた。

「……あれ?」
「うん。鳳翔さんの特製カレーライスだ。今日は金曜日だからな。カレーで元気を
出そうって寸法だ」

 曙のつぶやきに提督が説明をいれた。酒のせいなのかこれから出てくるカレーがよほど
おいしいのか、提督のまなじりが普段よりも下がっているのを曙は見逃さなかった。

「ふーん。でもカレーなんてメニューにはないもの頼んで、鳳翔さん困らせてどうする
のよ。クソ提督」

 曙がなにいってんだこのオッサンとばかりにいつもの口調で提督に返す。確かに
メニューにはカレーライスの文字はない。と、そのやりとりを聞いていた鳳翔が手鍋の
準備をしながら返事をした。

「あれですか? ええ、ありますよ。ちょっとお待ちくださいね」

 そういいながら鍋の中味を小分けしている。どうやら温め直すようだ。

「え? あるの??」

 曙が鳳翔の答えに驚いている。

「ええ。まかないだから用意できない日もあるし、量もたくさん作るわけじゃないから
メニューには載せてないの」

 提督は大げさなのよ、と鍋でカレーを温めながら鳳翔が照れたように笑った。

「うまいぞ。鳳翔さんのカレーは。どうだ、腹に余裕があるなら曙も一緒に食べないか。
オレがごちそうするぞ」

 してやったりの笑顔で提督が曙に笑いかけた。

「い、いいわよ。ここに長いこといたからお腹もいっぱいだし」

 そう曙は断ったのだが……。

『くぅ〜〜〜』

 身体は正直だ。漂ってきたカレーの香りに胃が反応したらしい。とっさに腹を押さえる
曙。しかし時既に遅し。

「はっはっはっ。しっかり食べないといざという時に動けないぞ。鳳翔さん、曙の分も
頼む」
「はい。もちろん」

 これ以上の失態はないとばかりに真っ赤になる曙。その曙を様子を目を細めて見やる
提督。鳳翔も顔を上げにこにこと微笑んでいる。

「わ、わかったわよ。なんだかおいしそうだし、クソ提督がそこまで言うならいただく
わよ。あ、でも、だからって懐柔されたわけじゃないんだから。いいわね。クソ提督」

 照れ隠しにまくし立てる曙。鳳翔は大きめの皿に多めにご飯を盛って、その上から
温めたカレーをたっぷりとかけた。そして鍋を火に戻すと「もう少し待ってくださいね」
と誰にともなく言い、しばらくしてから今度は小ぶりの皿に盛ったご飯の上にカレーを
かけた。

「はい、おまちどうさま。鳳翔特製まかないカレーです」

 提督と曙の前にカレーライスが置かれた。ごろごろとしたジャガイモ、少しくすんだ
でも十分赤いにんじん。タマネギも形を保ちつつしっかりと煮込まれているような感じだ。

「金曜日にカレーと言ったらこれも必要ですね。時間が時間だから無理に飲まなくても
良いですよ」

 鳳翔はそう笑いながら間宮牧場の牛乳をコップに注ぎ、テーブルにおいた。皿からは
どことなく懐かしい甘めの香りがただよい。立ち上る湯気は心なしか曙の皿の方が多い
ようだ。

「では、いただくとするか」

 提督はそう言うやスプーンにご飯とルーを大きく取り、ぱくりと口に入れた。

「いただきます」

 曙もルーとご飯をスプーンにとって口に運ぶ。

「うん、うまい」

 一口目で提督が破顔した。うんうん、さすがは鳳翔さん。そんな風に言いながら
スプーンは口と皿を止まることなく往復している。

「からっ……、あ、でも甘くておいしい。どうして」

 曙は曙で、一口含んで最初に来る辛みとそれが抜けたあとの甘みに驚いていた。

「これが鳳翔さんのカレー……」

 幻の食事処鳳翔のカレーライス。そう言えばそんな噂があったことを曙は思い出して
いた。


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