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『サラリーマン藤田浩之異聞 サラリーマン矢島 九曜』   第5話

-SERIO EYE

 黒い瞳の若者が
 私の心をとりこにした

 もろ手をさしのべ 若者を
 私はやさしく胸にいだく

 愛のささやきを告げながら
 やさしい言葉を私は待つ

 みどりの牧場で踊ろうよ
 私の愛する黒い瞳

 私の秘めごと 父さまに
 告げ口する人 誰もいない

 イルクーツクに住む少女たちが「内緒よ」と言いながら、くすくすと笑って教えてくれた歌。
 自分が今、置かれている状況は、この歌とよく似ているとセリオは思った。
 真っ黒な矢島の瞳。
 それはТУРИТАНИ博士と同じ色で、濁りはなかった。
 実際、優しいマスターだとは思う。
 目の前に美の化身がいることに全く気づかないほど愚鈍ではあるが、言葉や態度の端々に彼女を
気遣ってくれていることはわかる。
 なにが気に入らないのか。
 それが、セリオにはわからない。
 今まで、自分が人間から教えてもらったこと。
 そして、先輩であるマルチに教えてもらったこと。
 
 巫女服。
 チアガール。
 浴衣。
 スクール水着。
 ブルマ。
 ボンテージ。
 ウェイトレス。
 猫耳。
 うさ耳。
 カッターシャツ。
 裸エプロン。
 
 膨大なデータの中から、自分は最適の結果を矢島に見せているはずだ。
 なのに、彼が心から笑った姿を見たことがない。
 自分を心から褒めてくれた姿を見せてくれたことがない。
 (というか、これ以上コスプレしたら返品って言われた)
 おかしい。
 矢島はやっぱり変態嗜好の持ち主ではないのだろうか。
 洗濯物を干しながら、セリオはそんなことを考えていた。
 
-YAZIMA EYE
「おいっくしゅ!」
「風邪ですか?」
「いや、そんなことないっすよ。それより、お客さん。この車、シートの乗り心地はバッチリ。
本皮ですからね。空調もきちんと計算して作られていますから、風邪なんか絶対引きませんよ」
「うーん。どうしようかなぁ」
 営業のコツ。
 押しの一手と相手の心を揺らす一言。
 オプションパーツをサービスするって言ったら落ちるな。
 矢島は、今日もいい成績を残せるかもしれないと思って、いい笑顔を見せていた。
 
-SERIO EYE
 アルバムというには、あまりに粗末な一冊の写真入れ。
 ベッドの下は不可侵領域に設定されているので、それ以外のところを掃除していた時に、セリオは
そんなものを見つけた。
 収納すべき場所を探さなければならないので、特に悪気はなく、写真入れを開く。
 そこにいたのは、笑顔の矢島と一体のメイドロボだった。
 庭に置いたビニールプールの中で水浴びをしながら、笑っているメイドロボと矢島。
 長い黒髪の女に追いかけられて、顔面蒼白になって逃げているメイドロボと矢島。
 セリオの知らない巻き毛の女性とメイドロボと矢島の三人で写っている写真。
 どれも、矢島はセリオの知らない表情をしていた。
 心からの笑顔。
 なぜ、そんな無防備な笑い顔を、自分にではなく、このメイドロボに向けているのか。
 彼女のアンテナは白く、髪は緑色。体の凹凸はないに等しい。
 形式は彼女の友人であるマルチと同じ、HM−12タイプだった。
 セリオの夢の中に出てくるメイドロボ。
 それと全く同じ姿をしている。
 この写真に写っているメイドロボと自分の夢の中に出てくるメイドロボは同一の存在なのだろうか。
 何枚も並ぶ写真をじっと見ながら、セリオはしばらく考え込んでいた。
 
「ただいまー、っと」
「お帰りなさいませ」
 パソコンをいじっていたのか、セリオはシステムデスクの椅子に座ったままで矢島を出迎えた。
「んっ? 珍しいな。おまえ、サテライトサービスで何でもわかるんじゃなかったのか?」
「今はチャットをしているのです」
 セリオの言うとおり、パソコンの液晶ディスプレイの上にはロシア文字が並んでいる。
 Мариа。
 それが、セリオとチャットをしている相手の名前らしい。
「ま……なんて読むんだ?」
「マリア。イルクーツクで代理母の仕事をしている方です」
 そう言うと、セリオは相手側の写真を表示してみせた。
 くすんだライトブラウンのロングヘアー。
 どこか遠くを見ているような瞳。
 アンテナがないところを除くと、セリオとよく似ている。
「代理母って……おまえ、母親になるつもりか? 俺は知らねえぞ」
「いえ。そうではありません。疑問がありましたので、解答を知っている確率が高いと思われる方に
質問をしていたのです」
「疑問って?」
 До свидания。
 セリオは矢島と話しながら、キーボードでチャットの相手にメッセージを送った。
 Пока。
 相手側から、また意味のわからないメッセージが返ってくる。
「なんだ、こりゃ?」
「最初に、マリアさんに送った言葉が、ダ・スビダーニヤ。さようなら、という意味です。そして、
私に送られてきた言葉が、パカー。じゃあね、という意味です」
 矢島と話さなくてはいけないので、チャットを閉じたらしい。
「それで、疑問っていうのは?」
「私たちメイドロボが、なぜ必要とされるのか」
 本当はもっと別のことを考えていたのだが、セリオは嘘をついた。
 理由はわからないが、写真入れを見たことを知られると、また矢島に怒鳴られると思ったのだ。
「なぜ必要って……いてくれると便利だろ?」
「利便性を考えれば、他社から出ているボックスタイプの方が高機能で安上がりのはずです。
彼らはHM−12の50%以下の値段で、100%以上の仕事量を処理できます」
「んー、まあ。昔は箱形ロボットが主流だったけど。そういや最近は見ないなあ」
「はい。純粋に「働かせる」という意味で考えれば、人型であることにメリットはないように思うのです。
そのはずなのに、なぜコストをつぎこんでまで、人型にこだわるのか」
 矢島は少しだけ考えた後、自信を持って答えた。
「そりゃ、作る人間が人の形をしているからさ」
「言葉の意味がよくわかりません」
「一緒に生活する相手が金属製の箱よりは、人間の形をしている方がいい。人間の形をしているなら、
喋ってくれた方がいい。どうせ喋ってくれるなら、つきあいやすい奴がいい。そういうことだろ」
 まだ疑問が解けないのか、セリオはうつむいて考え込んでいる。
「人の形をしていればいいのであれば、私たちメイドロボに高価な資源と技術をつぎ込むよりは、
同じ人間を使った方が安上がりなのではないでしょうか?」
「そうもいかないだろ。人権っていうものがある。もちろん、おまえたちにも権利はあるけどさ。
少なくとも、メイドロボを買うより人間を雇う方が高くつくんじゃないか?」
「わかりません。地球にいる人間の数は増え続けています。なのになぜ、なおも増え続けようとするのか。
私たちのような存在を作り出そうとするのか」
「寂しいんじゃないか? きっとさ」
 寂しい?
 セリオはまた考え込む。
「同質の存在を求める本能があるということですか?」
「うーん。よくわからねえけど。おまえがさっき話していたマリアさんも、そういう人たちがいるから
仕事が成り立つわけであって。まあ、おまえの言うとおり、確かに貧しい国の子供が豊かな国の養子に
いったら、人口の帳尻は合うよ。飯も食えない生活をするより、よっぽど幸せかも知んねえ。でも、
だからって自分の子供が欲しい、自分の子供を育てたいって思うのは、人の気持ちだからな」
「……なるほど。なんとなく、わかったような気がします」
 それでは、矢島が風俗店に通うのも寂しいためなのだろうか。
 聞いてみたかったが、また怒鳴られて返品だと言われると嫌なので、セリオは黙っていた。
 
 その日の夜に見た夢も、また、あのメイドロボの夢。
 写真を見たせいか、特に鮮明に見える。
 この夢に出てくる「彼女」と、あの写真に写っている「彼女」は同一人物。
 とすれば、なぜ自分は「彼女」の夢を見るのか。
 面識はない。
 なぜ。
 なぜ。
 セリオの夢は、なかなか覚めなかった。
 
-YAZIMA EYE
 今日もまた仕事を終えて。
 入浴料割引券の期限が今日までなので使おうかと思ったが、友人の藤田と佐藤に呼ばれたので、
飲みに行った。
 佐藤の奴がまったく元気がない。
 彼女とうまくいっていないのだろうか。
 心配ではあるけれども、こういうことは結局、当人の問題で。
 愚痴を聞いてやるぐらいしか出来ることはない。
「院長の娘と、ただの事務員じゃなあ。身分違いの恋ってやつか」
 矢島も昔、大きな屋敷に住んでいる娘に恋をしたことがある。一時期は正式につきあっていた。
 だが、一つのつまずきが、その恋を壊してしまった。
「でかい図体の弟に殴られて。あの時だけは、本気で死ぬかと思ったよなぁ」
 はるか昔に殴られた左頬をさすりながら、矢島は夜空を見上げた。
「殴られたって? 大丈夫?」
 心配そうな声。
 矢島は夜空を見上げたままで、ちらりと横を見る。
 そこにいたのは、派手な化粧をした女子高生だった。
「化粧、似合わねえぞ」
「あっ。ひっどーい。これぐらいやらなきゃ、顔バレしちゃうじゃんか」
 矢島は彼女の相手をせずに早足で歩いていく。背が高い分、歩幅が長いので、彼女は小走りにならないと追いつけない。
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃない。別に、取って食おうってわけじゃないし」
「取って食われてたまるか」
 ちょっとした追いかけっこ。
 女子高生はそれを楽しんでいるようだったが、矢島は火遊びをする彼女に情が移ってはいけないと
思って、ひたすら早足を続けた。
 
-SERIO EYE
 セリオは今、大いなる岐路に立たされていた。
 食べるべきか、食べざるべきか。
 彼女が座っているテーブルに並べられているのは、ナイフとフォーク。そして、皿にのったトンカツ。
 夢の中では、緑色の髪をしたメイドロボが美味しそうに食べていた。
 夢の中で何度も出てくる食べ物、トンカツ。
 ロシアにも似た料理はあるが、セリオは食べ物を食べられるようには作られていないので、食べたこと
はない。味はわかるように作られているが、基本的にエネルギーは電気と水のみによって賄うように
なっているので、消化器官に当たる場所はない。
 食べれば、間違いなく壊れるだろう。
 しかし、これを食べないと「彼女」の気持ちがわからないような気がする。
 そこで、セリオは考えを改めた。
 いや、もしかすると自分もトンカツを食べられるのではないだろうか。
 夢の中で出てくるのは、多分、ローコストマシンHM−12のカスタム機。
 彼女が食べられるのであれば、どうして遙かにコストが高い自分が食べられないことがあるだろうか。
「いただきます」
 後に続く悲劇を知らないセリオは、優雅な仕草でフォークをトンカツに突き刺した。

-YAZIMA EYE
 壊れた体をベッドに横たえ、セリオが天井を見つめている。
 その手を握っているのは、涙目のHM−12DOM−02マルチ。
「痛い……お腹が痛い」
「はううぅぅ……セリオさんが苦しんでいます。長瀬部長、なんとかしてあげて下さいっ!」
 顔に手をやって黙っているのは矢島。
 長瀬部長と呼ばれた白衣の男性は、黙々とセリオのお腹の中に詰まった異物、トンカツを
取り除いている。
「私はもう駄目です……」
「そんなっ!? 気の弱いことは言わないで下さい、セリオさんっ!」
 異物をピンセットで取り除きながら、長瀬部長は矢島の顔を見て、にやりと笑った。
「そういや前にも、こんなことがあったねえ」
「言わないで下さい……」
 家に帰ってきて。
 腹を押さえて苦しんでいるセリオを見て、矢島が慌ててサポートセンターに電話をすると、そういう
症状は修理できないと言われた。当たり前と言えば当たり前だが、矢島は片っ端から電話をかけて、
昔、世話になったことがある長瀬部長を頼ることにした。
 彼はHM−シリーズの開発者の一人であり、腕は頼りになる。
 見舞いに来ているマルチは、セリオが呼んだ彼女の友人らしい。
「マスター……」
「大丈夫だって。壊れやしねえから」
 泣きそうな顔で自分を呼ぶセリオの手を、矢島は優しく握ってやる。
「やっぱり、返品されるんでしょうか?」
「しない、しない。安心して修理してもらえ」
「でも、こんな愚かなことをしたのに……」
 ポフ。
 何気なく、矢島の手がセリオの頭の上に置かれた。
「いや、かえって安心したよ。おまえも無茶やることがあるんだってさ」
 馬鹿なこと、無茶なこと。
 前のメイドロボは、そんなことしかしなかったような気がする。
 あれはあれで可愛いところもあったが、今考えると、いや、考えなくてもとんでもない奴だった。
 安心したのか、セリオは目を閉じる。
 どうやら、待機モードに入ったらしい。
 マルチもそれに合わせて、待機モードに入る。
 メイドロボ二人が寝静まった頃。
 ふと疑問が浮かんだ矢島は、長瀬に聞いてみた。
「長瀬さん。もしかして、あなたが作るメイドロボって、トンカツが好きなんですか?」
「彼女もこの子も、僕が作ったんじゃないよ」
「そりゃそうですが。基本はあなたでしょう?」
 メイドロボを構成するのは、金属のフレームとモーター、若干の生体部品と人工知能。
 今、自分が修理しているメイドロボは、形こそはHM−13後期型だったが、中身は懐かしい姿を
していた。
 なぜ、真面目なセリオがこんなことをしたのか、矢島は不思議に思っている。
 まだ気づいていないようなので、長瀬は自分が気づいたことを黙っておくことにした。
 
(第6話に続く)