夜が明けて。 パン屋さんではおばあさんが朝ご飯の準備をしています。 「おじいさん、おちびちゃん、朝ご飯出来ましたよ」 おばあさんはテーブルにお皿を運ぶと、おじいさんとちびセリオに声をかけました。 「ん? 朝からパンとは珍しいな」 テーブルに並べられた朝ご飯を見て、おじいさんが言いました。 おじいさんの家では、朝は大体ご飯とお味噌汁なのです。 でも、今日の朝ご飯はバターロールパンと目玉焼きとサラダ。 おばあさん、どういう風の吹き回しなんでしょう? 「昨日知り合いの方からバターロールパンをもらったの。早いうちに食べたほうがおいしいと思って」 おじいさんの言葉におばあさんが答えました。 「ほー、どれどれ」 おじいさん、パンを一つ取ると、くんくんと香りを嗅ぎ、パンを二つに割ってひとかけら口に入れました。 おじいさんはよそのパンを食べるとき決まってこうするのです。 「結構いけますよ」 おじいさんの仕草を見て、おばあさんが笑います。 「うん、結構いけるな。こう、なんだ。うちのバターロールパンに良く似た味だ」 「そうでしょ?」 「ああ」 「及第点かしら?」 「そうだなぁ。まあ、こんなもんじゃないか? 強いて言えば…… 水の加減と焼く時の温度を昨日の天気に合わせるとよかったかもな」 少し考えてからおじいさんが言いました。 「そうですか」 「ん? なんだ。おまえが作ったのか?」 「違いますよ」 おばあさんが笑います。 おじいさんとおばあさんのやりとりを聞きながらちびセリオはロールパンをほおばりました。 確かにおいしいです。でも、この味どこかで食べたことのあるような…… 「水加減とオーブンの温度ですね」 おばあさんは、うんうんと満足そうにうなずきました。 夜になって、いつもの時間にいつものようにセリオがやってきました。 早速身体を交換します。 今日は食パンを焼いてみようと言うことになっているのです。 もちろん、昨日イマイチだったりんごパイにもチャレンジです。 「――今日は食パンですね〜」 「はい。がんばりましょう」 「――えっと〜 セリオさんセリオさん、テーブルの上にメモがあります〜」 セリオなちびセリオがなにやらメモを見つけました。 「『こねるときの水加減と焼くときのオーブンの温度は日によって違うので注意』と書かれていますね。これは一体……」 「――ほへ? それは今朝おじいさんが言っていたことです〜」 セリオなちびセリオは、ちびセリオなセリオに今朝の一部始終を話しました。 「そう言えば、昨日作ったバターロールパンを片づけ忘れたような気がします」 「――あう。そうです〜」 「と言うことは、おばあさんがお知り合いからもらったと言っていたパンは、私たちの作ったパンと言うことになりますね」 「――だからどこかで食べた味がしたんですね〜」 セリオなちびセリオが納得したように言います。 「そう言うこと」 なんともいいタイミングでおばあさんの声がしました。 「――ありゃ、おばあさんです〜 おやすみになったんじゃなかったんですか〜?」 「こんばんは。これは、その……」 おばあさんの姿を見てびっくりする二人。 そんな二人ににこやかな笑顔を向けるおばあさん。 全てお見通し、と言う感じです。 「いつから気づいていたのですか?」 おばあさんに尋ねるちびセリオなセリオ。 「昨夜から。夜中にごそごそ音がしてなにかと思って起きてみたら、あなた達がパンを作っていたの」 「そうだったのですか」 おばあさんの言葉にうなずくちびセリオなセリオ。 二人の昨夜の会話を聞いていたおばあさんが一計を案じ、片づけ忘れたバターロールパンを おじいさんに食べさせたというわけなのです。 「おばあさん、あのパンはお店に出せますか?」 ちびセリオなセリオがおばあさんに聞きました。 セリオなちびセリオが身体を入れ替えてまでがんばっているのは、おじいさんが治るまで自分がパンを作って お客さんに喜んでもらいたいから。 「そうね。おじいさんが言っていた水加減と火加減に気をつけてもう一度バターロールパンを作ってごらんなさいな。 うまくいったらおじいさんに食べてもらいましょう」 「――わかりました〜 がんばりますね〜」 おばあさんに言葉を聞いて、セリオなちびセリオがパンを作り始めました。 粉をこね、寝かせ、伸ばして形を作って、焼いて……。 セリオなちびセリオは、パンを作っているときのおじいさんを思い出しながら、慎重に作っていきました。 そして…… 「――焼きあがりました〜」 セリオなちびセリオがオーブンからバターロールパンを取り出します。 焼きたてのパンは昨日にも増してパリっと仕上がっています。 「あら、おいしそう」 早速おばあさんが試食をします。ぱくり、もぐもぐもぐ…… 「うん、おいしいわ。すぐにおじいさんを呼んでこなくちゃ」 おばあさんはそう言うと、焼きたてのバターロールパンを持っておじいさんの部屋へ向かいました。 「おじいさん、おじいさん。起きてください」 「ん? なんだ、どうした?」 「はい、このパン食べてみてくださいな」 おばあさんがパンを渡します。 「なんだまだ夜中じゃないか。どうした、やぶから棒に」 「いいから」 寝ているところを起こされたおじいさんは、わけもわからず渡されたパンを口に入れました。 「おー、こりゃあうまい。オレが作ったパンとそっくりじゃないか」 「でしょ? そしたら急いでこっちにきてください」 「なんだなんだ。夜中に起こされたかと思ったら、いきなりパンを食えと言うし。パンを食べたら、今度はついて来いと言うし。 なんだかよくわからんぞ」 「いいから」 おばあさんに連れられるようにおじいさんがお店へやって来ました。 おばあさんに背中を押されお店へ入るおじいさん。 目の前には、エプロン姿のセリオとちびセリオの姿が見えます。 そして、二人の横には焼きたてのバターロールパンが。 「もしかして…… このパンはおまえさんが?」 おじいさんがセリオなちびセリオに言いました。 「――はい〜 うまくできたでしょか?」 おじいさんに答えるセリオなちびセリオ。 「ちょっとまった、そのしゃべり方は…… おちびちゃんか?」 「――そうです〜 セリオさんが〜 おっきな身体を貸してくれたんです〜 お陰でパンを作れました〜」 セリオなちびセリオの言葉に、腰を抜かさんばかりに驚くおじいさん。 無理もありません。セリオが自分の味を真似しただけでも驚きなのに、そのセリオが実はちびセリオだったのですから。 「ちびセリオさんはやってくるお客さんのお相手をして、自分がパンを焼ければきっとお客さんに喜んでもらえると おっしゃったんです。私も、りんごパイがあればお嬢様が喜んでくださいます。それでちびセリオさんと身体を交換して……」 「そうだったのかい。そりゃあ二人に迷惑かけちまったな。ありがとよ、セリオさん。おちびちゃん」 「いえ。それでいかがでしょうか? ちびセリオさんの作ったパンはお店に出しても大丈夫ですか?」 ちびセリオなセリオは、おじいさんにそう聞きました。 ダメだと言われたら、首を縦に振ってもらうまでがんばるつもりでいました。 「そうだな。これなら大丈夫だろう」 「――わ〜 セリオさん、おじいさんがOK出してくれました〜」 「よかったですね。ちびセリオさん」 おじいさんの言葉に喜ぶ二人。 おばあさんもうれしそうです。 「但し、一つ条件がある」 「はい」 「――なんでしょ?」 おじいさんを見つめる六つの瞳。 「オレも一緒に作るぞ」 「だめですよ。治るものも治らなくなるじゃないですか」 おじいさんに釘をさすおばあさん。 「――あまり無理しないで下さいね〜」 「横になられていたほうが、治りが早いと思います」 ちびセリオとセリオもおじいさんの腰を気遣ってそう言います。 「でもな、オレだけなにもしないってのは、あれだ。歯がゆいじゃねえか」 「なんのためにちびちゃんとセリオさんががんばってくれてると思ってるの。二人に感謝する気があるのなら、早く腰を治してください」 おばあさんが畳み掛けます。 「あー、わかったわかった。それじゃ作ってる横に座ってるってのはどうだ? それなら腰にも障らねえだろ?」 「もう、強情っぱりなおじいさんですね」 こうなるとなにを言っても聞かないのがおじいさん。 おばあさんにはそれがよくわかっています。 結局、おじいさんは二人がパンを作る横で、細かなアドバイスをすることになりました。 おじいさん、とてもうれしそうです。 「よし、今晩もういっぺん練習して、明日っからお店で売るパンを作ろう」 おじいさんの言葉に、みんながうなずきます。 「おじいさん、一つお聞きしたいことがあるんです」 練習でりんごパイを作り始めたとき、ちびセリオなセリオがおじいさんに問い掛けました。 「なんだい?」 「おじいさんのりんごパイは他のものと一味違うのです。なにか隠し味があるのですか?」 ちびセリオなセリオは、今までずーっとわからなかったことをおじいさんに聞いてみました。 「隠し味、か…… うーん、強いて言えばあれかな。おばあさん、冷蔵庫のあれ出してくれないか」 「はいはい」 おばあさんが大きなビンを持ってきました。 「りんごパイにはこのペーストがないとな」 おじいさんがふたを開けながら言いました。 ビンの中に入っていたのはりんごのペースト。 りんごパイに必ず入れるのだそうです。 セリオなちびセリオはおじいさんからそのビンをもらうと、おじいさんの言うとおりにペーストを塗りました。 パイ皿の上にパイ生地を乗せ、ペーストを塗ってから甘いりんごのフィリングを敷き詰めます。 「――それじゃ、焼きますね〜」 セリオなちびセリオが、オーブンの中にりんごパイを入れます。 「――うまく焼けてくださいね〜」 しばらくすると、あたりにりんごパイのいい匂いが漂い始めました。おじいさんの焼くりんごパイの匂いです。 「――できあがりです〜」 こんがり焼けたりんごパイ。早速みんなで試食です。 「うん、この味だ」 「そうですね」 おじいさんとおばあさんがうなずきます。 「――うわ〜 おいしいです〜 おじいさんの味です〜」 セリオなちびセリオがうれしそうに言います。 その傍らで、ちびセリオなセリオがなにも言わずりんごパイを噛み締めていました。 ようやく再現できた、おじいさんのりんごパイです。 きっとお嬢様は喜んでくれる。ちびセリオなセリオはそう確信しました。 後片付けが済んで、身体を交換して、セリオはおうちへと帰りました。 胸には焼いたばかりのりんごパイ。 早速明日の朝ご飯のときに出そうとセリオは思いました。 セリオは自分の足取りがいつもよりも何倍も軽くなった気がしました。 次の日の朝。セリオの声に起こされて、少女がリビングへやって来ました。 まだ眠そうな顔をしています。 「おはよう、セリオ」 「――おはようございます」 セリオはお皿を準備しながら答えました。 「今日の朝ご飯はなーに?」 そう問い掛ける少女。 セリオは何も答えずに、少女の前にりんごパイの乗ったお皿を出しました。 「朝からりんごパイ? あたしはあのお店の以外は食べないって言ったでしょ?」 「――そう言わずに食べてみてください」 セリオはぶーたれる少女にフォークを渡し、りんごパイを勧めました。 不精不精りんごパイに手を伸ばす少女。 フォークで一口分を取ると口の中へパク。 「んーーーーーっ」 「――落ち着いて食べてください。パイは逃げません」 もぐもぐもぐもぐもぐもぐ、ごっくん。 「セリオ、これ、これ、この味。一体どうしたのよ」 少女が勢い込んでセリオに尋ねます。 「お行儀悪いわよ」 少女のお母さんが、少女の頭を軽く叩きながら言いました。 「だって、これ、あのお店のりんごパイじゃない。おじいさん、治ったの?」 「――いえ。まだです」 「じゃあ、これは一体」 「――ちびセリオさんと一緒にあのパン屋さんで作ったのです。ようやく上手にできました」 「セリオが作ったの? ありがとー。元気でたよ」 「――いえ」 大喜びの少女を見て、セリオは「良かった」と思いました。 お嬢様の喜ぶ顔が見たい、その一心でがんばったのですから。 「これで毎日うちであのりんごパイが焼けるんだねー」 少女はうっとりしながら言いました。 あのりんごパイが思う存分、しかも焼きたての熱々を食べれるわけです。 「――いえ、今まで通りです」 「へ?」 「――今まで通り、りんごパイはパン屋さんで買って参ります。お家では焼きません」 「えー、なんでー? どうしてー?」 納得いかない顔の少女。唇をとがらせ、ほっぺをぷっと膨らませています。 「――あのりんごパイは、あのお店で丹誠込めて作るからおいしいのです。それがわかったのです。 多分、お家で焼いてもこの味にはなりません」 少女の目をまっすぐ見つめ、セリオはそう言いました。 「むー、わかったようなわからないような……」 そうは言われてみたものの、納得いかない顔の少女。 「――お嬢様もあのパン屋さんでりんごパイを作っている所を見ればわかると思います」 「そう言うものなのかなぁ……」 「――はい」 「ま、いいや。あたし毎日これが食べれればそれで幸せだから」 少女が笑って言いました。難しいことは考えないことにしたようです。 少女はりんごパイをフォークで刺すと、口にほおばりました。 『夏になったらあのパン屋さんでバイトさせてもらおうかなぁ。りんごパイの秘密、わかるかも知れないし』 少女はりんごパイを食べながら、そんな風に思うのでした。 しばらくの間、セリオはお家の許可をもらって毎晩パン屋さんへ通い、パン作りを手伝いました。 パンを作れるのは夜の間だけですから、おじいさんのようにたくさんは作れません。 食パン、バターロールパン、クロワッサン、あんパン、メロンパン、りんごパイ、くまさんパン……。 お客さんの要望の高いものを日替わりで焼く日々が続きました。 棚に並べるパンが少なくて空いた場所が目立ちますが、それは仕方ありません。 こうしてお店を開いてお客さんに喜んでもらうのが一番大事なのですから。 あっという間に数日が過ぎ、そろそろ二週間という頃になってようやくおじいさんにお医者さんの許可が出ました。 お仕事復帰OKだそうです。 「いやー、年寄りだし重労働だからって普通のぎっくり腰よりも慎重に様子を見たんだとよ。そんなにやわじゃねえってのによ」 おじいさんはお医者さんから戻ってくると笑ってそう言いました。 「――お年と共に治りが遅くなるのは事実です。無理はなさらないで下さい」 セリオがやんわりと言いました。 「そうです〜 しばらくは〜 慣らし運転が必要です〜」 ちびセリオもセリオに続いて言いました。二人は二人なりに心配しているのです。 「なーに、ちょっとやりゃあっという間に元通りだよ」 「おじいさん、調子に乗るとまたお布団に逆戻りですよ」 お医者さんの許可が出たのがよほど嬉しかったのか、おじいさんが軽口を叩きます。 そんなおじいさんに、釘を刺すおばあさん。 「あー、いや、その、そりゃあ勘弁だ」 おじいさんはよほど布団で寝ているのがいやだったのか、苦笑いをしています。 それからみんなでお仕事の分担を考えました。 お医者さんの許可が出たとは言え、以前のように朝から晩まで働きづめというわけにはいきません。 ちびセリオが言うように、慣らしが必要なのです。 セリオはおじいさんが復帰した後のことをお母さんと相談していました。 お母さんは笑って言いました。 『乗りかかった船なんだから、最後まで面倒見なさい』と。 そしてこんな風に付け加えました。 『それであのパン屋さんのおいしいメロンパンが食べれるなら安いものよ』と。 「――では、夜の仕込みと午前中の忙しい時間にお手伝いに参ります。奥様から許可を頂いていますから、大丈夫です」 「そうかい? すまんな。セリオさん」 おじいさんが深々と頭を下げました。 「――そんなに腰を曲げると、また腰を痛くしてしまいますよ」 「それもそうね」 セリオの言葉に笑うおばあさん。 おじいさんも釣られて笑います。 久しぶりにお店の中に笑顔があふれました。 おじいさん復帰の初日。 パン屋さんの棚にはたくさんのパンが所狭しと並べられていました。 おじいさんが腰を痛める前と同じです。 「ちびちゃん、おはよう。おじいさん、よくなったんだって?」 「おはよー」 近所に住む女の子とそのお母さんがやってきました。 「はい〜 お陰様でよくなりました〜」 ちびセリオがぴょこんと頭を下げます。 「おーい、フランスパン焼けたぞー」 お店の奥からおじいさんの声が聞こえてきます。 「はーい、ただいま」 おばあさんは奥へ入っていくと、焼きたてのフランスパンをかごに入れて持ってきました。 「元気そうで良かった」 お母さんは焼きたてのフランスパンを取ると、にっこり笑って言いました。 「おかーさん、あたしくまさんパンー」 「はいはい」 今までと変わらないお店の風景です。 ちょっと違うのはセリオがお手伝いをしていること。 それ以外は今までと一緒です。 「おーい、バターロールパン焼けたぞー」 「――りんごパイも焼けました」 「はーい、ただいま」 「いらっしゃいませ〜 ちょうどりんごパイが焼き上がったところです〜」 とある町の小さなパン屋さん。 おじいさんとおばあさんが切り盛りする、近所でも『おいしい』と評判のお店。 そこには今日もちびセリオの明るい声が響いています。 fin20030712