春が来て、塚原先輩と森島先輩が卒業し、私は2年生になった。
 私のタイムは練習の成果が出て、どんどん良くなっていった。
 春の大会が過ぎ、インターハイの予選が過ぎ、冬の大会が終わって、部内の選考は
もちろん、県内で3本の指に入る成績を残して校内で優秀選手として表彰状をもらった。
 でも、大会に出れるようになっても大会で上位に入っても先輩は姿を見せてはくれなかった。
 今思うと、先輩はその時3年生で、受験があってそれどころじゃなかったのかも
しれない。
 私の水泳の成績なんてどうでも良かったのかもしれない。
 でも、その時の私にはそこまで考えることができなかった。

 「……まだまだがんばりが足りないってことですか?」

 私は意地になった。
 県でトップになって、インターハイに出て、先輩が参りましたって言うくらいの
成績を出してみせる。
 そうしたら先輩はいつものあの顔で、七咲すごいじゃないか、って言ってきて
くれる、そう思ってがんばった。
 冬の大会で県のナンバーワンになった。
 でも先輩は会いに来てくれなかった。
 先輩の卒業式の日、入場してくる3年生の中に見つけた先輩の姿にいてもたっても
いられず、卒業式が終わってから探し回ってみたけれど、先輩は私の前には姿を見せなかった。
 本当は嫌われてしまったんじゃないか。
 もしかしたら、私は思い込みに思い込みを重ねた哀れな道化だったのかもしれない。
 私のがんばりってなんだったのかな。

 「七咲、今は目の前のことに打ち込んだほうがいいよ。今やめてしまったら、
残るのは悔いだけ、胸を張れるようにがんばりなさい」

 最後のインターハイ予選を前に自己嫌悪とスランプに陥った私に、塚原先輩は
そうアドバイスをしてくれた。
 周囲の期待、後輩達の声援、そしてなにより塚原先輩の激励が私を後押しして
くれた。
 インターハイへの切符を手に入れた私は、高校最後の夏に自分の精一杯の力を
注ぎ込んだ。

 「…… 結局準決勝止まりでした」
 「ふふ、上出来よ。インターハイなんてそう簡単にでられるものじゃないん
だから。もっと胸を張っていいんだよ」

 インターハイの会場に塚原先輩と森島先輩が応援に来て、私が会場から
出てくるまで待っていてくれた。

 「逢ちゃん、すごいね〜 うーん、見直しちゃったよ。きっとあの子も大喜び
だね。あれ、今日は来てないのかな」
 「あの子、ですか?」
 「うん、ほら」
 「はるか」
 「あ、う、いやー、今日もいい天気だねえ」
 「バカ」
 「むー、バカはいいすぎじゃないかな」
 「そんなことないわよ」
 「ふふ、先輩達、相変わらず仲がいいですね」
 「あー、逢ちゃん呆れてるでしょう?」
 「そんなこと、ないですよ」
 「そうかなあ」
 「ないです」
 「うーん」

 あごに指を当て目を閉じる森島先輩。
 卒業して1年以上経つけれど、全然変わっていない。

 「それよりお腹すいたでしょ? 何か美味しいものを食べに行こうよ」
 「あ、うんうんいいねえ」
 「それじゃ、回転寿司なんてどうですか?」
 「え?」
 「クスッ、久しぶりに森島先輩の”そうでさぁねぇ”が聞いてみたくて」
 「ちょ、ちょっとまってその話を誰からって、ひびきね」
 「さあ、どうでさぁねぇ」
 「もーっ ひびきのいじわる」

 インターハイが終わり、やり遂げた充実感とその後に来るぽっかりと胸に穴が
開いたような空虚な気持ちがごちゃごちゃになって、あっという間に時間が過ぎていった。
 大学に行こうと決めていたものの、どこを受けるか全く考えていなかった私は、
志望校を真剣に悩んだ結果、塚原先輩のいる大学を選んだ。

 「悩んでいるなら、今からうちの大学を目指してみる? また一緒に水泳を
やろうよ。うん、七咲なら今からでも大丈夫だよ」

 その言葉が決め手だった。


 あれから半年ちょっと。
 受験勉強をしながら部活をしていた塚原先輩は本当にすごかったんだと思いながら、
必死になって勉強をした。
 あんなに勉強したことはないんじゃないかって言うくらい勉強した。
 だから、こうして今、私はここにいる。
 これから4年間通うことになる大学のキャンパスに。
 !?
 今の横顔は……先輩??
 新入生歓迎でごった返すキャンパス。
 視線の先を横切っていった横顔が先輩によく似ていた。
 人違いかなあ、遠目だったからよく似た人だったのかもしれないし。
 ふふ、なに考えてるんだろう、私。
 もう1年半も前に疎遠になった先輩の姿を、大学に来てまで追いかけているなんて。

 「……先輩、どうしてるかな」

 いつもこうだ。
 色々と思い出して、頭の中をぐるぐると回って、最後に行き着くのは先輩のこと。
 結局、卒業式以来先輩の姿を見ていない。
 進学希望だと美也ちゃんが言っていたのを聞いたくらいで、どこの大学を受けた
のか美也ちゃんは教えてくれなかった。
 今頃どこかの大学で同じようにキャンパスを歩いているのだろうか。
 大学の後輩にちょっかいを出しているのだろうか。
 私は先輩に嫌われてしまったのだろうか。
 その子がすごく魅力的で、私なんかどうでも良くなった……とか。
 あ、でも彼女ができたのなら美也ちゃんがもっと騒いでいるはずだし。うーん。

 「七咲、こっちこっち」

 キャンパスのメインストリートに所狭しと机が並べられ、色々なサークルが
新入生の歓迎をしている。
 塚原先輩の所属する水泳部も机を出して通り過ぎる新入生に声をかけていた。

 「入学おめでとう。それじゃ早速ここに名前を書いてもらえるかな」
 「名前ですか」
 「あ、学科もね」
 「はい、七咲逢……と。ところでなんで名前を?」
 「うん、これは入部希望者の名簿なの」
 「あ、あの、私まだ入るとは……」
 「よろしくね、七咲」
 「え、あ、はい。でも、ずるいですよ。こう言うのは。先輩後輩の間でも
ちゃんと勧誘をして下さい」
 「したじゃない。去年の夏に」
 「え?」
 「また一緒にやろう、って。だからうちの大学を選んだんじゃなかったっけ?」
 「あ、それは、そう、ですけど」
 「だから。これからまたよろしくね」
 「……クスッ、はい、こちらこそ、またよろしくお願いします」

 こうして私はあらかじめ決められていたかのように水泳部の一員になった。

 「それじゃあ新入部員の初仕事ね。一緒に来て」
 「え。は、はい。でも塚原先輩、どこへ行くんですか?」
 「決まってるじゃない。新入部員の勧誘よ」
 「え、ちょ、ちょっと待ってください。私もいきなり勧誘するんですか?」
 「もちろん」
 「えっと、塚原先輩、ちなみに昨年の塚原先輩の勧誘で入ったのは何人ですか?」
 「えーっと、結構いたと思うよ」
 「……それ本当ですか?」
 「本当よ。はるかが応援に来てくれたけどね」
 「もしかして、今でも一人じゃ誰も入ってくれないとか」
 「そ、そんなことはないわよ」
 「それじゃあ、お手並み拝見と行きましょうか」

 塚原先輩に会えてうれしい。また塚原先輩と水泳ができることがうれしい。
 なんだか高校1年の頃に戻ったみたいだ。
 なにか困ったことがあると塚原先輩に相談した。森島先輩や橘先輩が加わって
ちゃかしあったこともある。
 ふふ、塚原先輩ってパッと見は近寄りにくそうに見えて、実はすごくかわいい。
 後輩につっこまれていじけたり、困った顔をみせる。
 だからこんな、端から見たらすごく失礼なことも、塚原先輩には言えてしまう。
 塚原先輩も、それを受け止めてくれる。

 「ね、そこの君。入るサークル決まった? 水泳部はどうかな。向いていると思う
んだけど」

 一人目失敗。

 「ね、そこのあなた。水泳部で部員を募集しているんだけど、どうかな」

 二人目失敗。
 あ、結構しょげてる。

 「ね、そこの君」

 めげずにがんばるなあ。今度は結構粘ってる。
 それにしてもすごい人ごみ。この学校ってこんなに人がいるんだ。
 あ、あれ、塚原先輩!?
 あ、しまった。人混みに流されて塚原先輩を見失ってしまった。
 困った。
 とりあえず水泳部の場所まで戻れば……ぅわ。

 「す、すみません」
 「こ、こちらこそ。あ」
 「え? あ、せ、先輩!?」
 「な、七咲」

 私とぶつかったのは紛れもなく先輩だった。

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