夢でも幻でもない本物の先輩。

 「あ、あの」
 「うん」
 「本当に先輩、ですよね?」
 「うん、多分そう」
 「多分って、なんで本人が疑問系なんですか」
 「いや、まさかぶつかった相手が七咲だとは思わなくて」
 「思わなくて?」
 「いや、だから、相当動揺しているって言うか、その…… と、とりあえず足はあるよ」
 「誰も幽霊だ、なんて言ってません」
 「え、あ、そうじゃなくて、その、あー、そうだ、ここの学食結構美味しいらしいよ」
 「……クスッ、誰もそんなこと聞いてないですよ。変わってないですね。先輩」
 「そうかな」
 「はい」
 「あ、いたいた。ダメだよ、いくら私が強面だからって人の顔を見るなり逃げちゃ」
 「塚原先輩」
 「あ、いや、逃げた訳じゃ。心の準備ができていなかっただけで」
 「言い訳しないの。ふふ、でもまあいいわ。君が逃げた先に七咲がいてくれて手間が
省けた」
 「手間って、どういうことですか」
 「どうもこうも、ようやく再会できたんでしょ? 橘君はそのためにわざわざ一浪して
までここを受けたんだし」
 「え? 先輩がわざわざ? そ、それってどういうことなんですか?」
 「ああ、そうか、七咲には事情を説明してなかったよね。実はね」
 「つ、塚原先輩。その話は」
 「いいじゃない。もう時効だよ。それだけの代償を二人とも払ってきたでしょ?」

 新入生と新入生歓迎という名のサークル勧誘活動の人たちでごった返すメインストリート
の真ん中で、私は先輩を見つめ、先輩はなんだかきまりの悪そうな、悪戯の見つかった
郁夫のような感じで立っていた。
 ここじゃ落ち着かないから場所を移そうか、と言う塚原先輩の提案で騒がしいメイン
ストリートから少し離れたカフェテラスに移動した。
 隣に先輩が座っている。
 胸の鼓動が落ち着かないのはなぜだろう。
 ううん、そんなのはわかっている。
 ようやく先輩に会えた。
 2年半ぶりに先輩が横にいる。
 鼓動が高まらないはずがなかった。

 「どこから話をしようか」
 「あの、どこからって、そもそもどういうことなんですか? なんで先輩がここに
いて、塚原先輩がそれを知っていて、なんで先輩は塚原先輩から逃げようとしてたん
ですか、なんで、なんで私だけなんにも知らないんですか、知らされてないんですか」
 「な、七咲、それは」
 「七咲、落ち着いて。これから説明するから」
 「は、はい。すみませんでした」
 「いいよ、謝らなくて。謝らなくちゃいけないのはこっちの方なんだから」
 「え……」
 「彼が七咲と話をしなくなったのがいつからか、おぼえてる?」
 「はい、1年生の冬の……」
 「そう、七咲がスランプで悩んでいた時だね。あのとき彼から相談を受けたの。
どうしたら七咲の力になれるか、って。彼は彼なりに考えて、考えた結果、七咲から
身を引いたような行動を取った。七咲が水泳に打ち込めるように」
 「え、そうだったんですか」
 「それが最善の方法か僕にはわからなかったし、今でもわからない。でもあの時は
それが一番いいって思ったんだ」
 「……」
 「校内でなるべく出くわさないようにとか、美也ちゃん経由であなたの様子を知ろう
としたりとか、ずいぶん気を使っていたわ。そこまでしなくてもいいんじゃないかって
くらい」
 「いえ、そうしないと自分に負けそうで、一度でも同じように話をしたら元に戻って
しまう気がしたんです」
 「なるほどね。ああ、でもね。七咲。大会には彼ちゃんと毎回足を運んでいたんだよ」
 「大会、に……」
 「うん、県の予選も、インターハイの時も」
 「インターハイが終わったら声をかけようと思っていたんだけど、七咲は受験生だし、
僕も浪人していたし、それどころじゃなかったから、結局ずるずると今日まで
来ちゃったんだ」
 「そう、だったんですか……」
 「うん、彼がどこの大学を受けるか迷っていたから、七咲がうちの大学を目指して
るって話をして、良かったら受けてみないかって誘ったんだけど…… 橘君、やるときは
やるね。見直したよ」
 「僕は七咲を見守るって決めたんです。七咲から直接迷惑だと言われるまでは。
虫がいい話だけどそれくらいしかできないから」
 「先輩……」
 「ふうん、そう。あの時よりも強くなったね」
 「いえ」
 「七咲。そう言うことなんだ。ごめんね。今まで色々と黙っていて」
 「ごめんな。七咲。もっといいやり方があったのかもしれない」
 「塚原先輩、先輩…… ありがとうございます。二人がそんなに私のことを心配して
くれていたなんて……」

 知らなかった。
 先輩が私のことを思ってあえて逢わないでいようとしていたこと。
 美也ちゃんを通じて私の様子を知ろうとしてくれていたこと。
 大会の度に応援に来てくれていたこと。
 ずっと、ずっと気にかけてくれていたこと。気にしすぎて浪人までしたこと。
 塚原先輩が事情を知った上で私にも先輩にもアドバイスをしてくれていたこと。
 また先輩と巡り会えるように考えていてくれたこと。

 「だから、だから謝らないで下さい。本当にありがとうございます」
 「七咲……」
 「あ、でも。もうこう言うのはやめてください。陰から見守るとか、なるべく
逢わないようにがんばるとか、でも気になるから大会は見に来るとか、見に来ても
姿を見せないとか、それじゃまるでストーカーじゃないですか。ああ、先輩は
私のことを見守ってくれているんだな、応援してくれているんだなって言うのは
見守られている方がそれをわかっているから意味があるんです。安心できるんです。
いきなり逢ってくれなくなったり、大会に来てくれてもいたことがわからなかったり、
今日だって塚原先輩が見つけてくれなかったらこうしてお話しできていたかわから
ないじゃないですか。そんなのじゃ見守られているなんて思えないです。単なる
先輩の自己満足です。……先輩に逢えなくなって私がどれだけ落ち込んで、悩んで、
不安で不安でたまらなかったと思ってるんですか。もう、お願いだから、
やめてください」

 途中から言葉が止まらなくなった。
 ちょっと言い過ぎかもしれないと思ったけれど、言葉が次から次へとあふれてきた。

 「七咲、ごめん」
 「ごめんで済んだら警察はいらないです」
 「な、七咲」

 私の剣幕に、借りてきた猫が神妙そうな顔つきでこちらをうかがっておろおろして
いる。
 クスッ、前とちっとも変わってないですね。先輩。

 「……冗談ですよ。半分は。わかっていただければいいんです」
 「よかった。僕は許して貰えないんじゃないかと思ったよ」
 「許すもなにも……ようやく、これでようやくあの日の続きができるんです。
うれしくないわけないじゃないですか」

 落ち込んで、悩んで、意地になって、不安に押しつぶされそうだった、凍り付いた
日々がようやく溶けて流れだした。
 カフェテラスの外に舞う桜の花びらとともに、本格的な春が私に訪れようとしている。

 「あ、でも、冗談なのは半分だけですよ。埋め合わせはこれからちゃーんとして
もらいますからね」
 「ああ、もちろんだよ」

 先輩がホッとした顔をしている。
 テーブルの向こうで塚原先輩が優しい笑顔を向けてくれていた。

 「学年も一緒になったことだし、ちょうどいいから君も水泳部に入りなよ。
七咲と喜びも苦しみも悩みも共有できるよ」
 「え、水泳ですか。いや、その、僕は帰宅部でも……と思ってたんですが」
 「いいじゃないですか、先輩。一緒にやりましょうよ」
 「えー、七咲までそう言うの」
 「もちろんです。今、埋め合わせをしてくれるって言ったじゃないですか」
 「あ、いや、それはそうだけど」
 「そうだけど?」
 「大学から始めるってすごくハードル高くないか?」
 「そんなことないよ。大学から始める人も結構いるから。なんならマネージャー
でもいいよ」
 「うーん、先輩がマネージャーですか…… 他の部員を毎日じろじろ見ないと
いいですけどね」
 「え、な、七咲、そう言うこというの」
 「もちろんです。それともこの2年半で先輩の変態さ加減が減った、とでも言うん
ですか?」
 「あ、う、その……」
 「ふふ、冗談ですよ。選手でもマネージャーでも構いません。先輩がそばにいて
くれるなら、そばにいて応援してくれるなら、私はそれでがんばれるんですから」
 「七咲」

 2年半。
 もしかしたら私たちは随分長い時間をかけて遠回りをしたのかもしれない。
 でも、その2年半を埋めてあまりある時間をこれから先輩と過ごせばいい。

 「先ず手始めに先輩の気持ちを確認しないとなぁ」
 「ん? なにか言った?」
 「いえ、別に……」

 私は先輩のことが好きで、多分先輩は私のことを好きでいてくれる。
 もしかしたら恋人と言う関係もそう遠くはないのかもしれない。


Fin 20090516
20090531 公開


あとがきみたいな雑感

 冒頭にも書きましたが、七咲スキルート「プールから七咲が出てこない」の
選択肢で響先輩に相談後BADENDとなるエピソードのその後です。
 その前段のイベントで、先輩が応援してくれれば私はがんばれる、と七咲に
言わせて自分に何ができるだろう、と橘さんは思い悩んで、でも結局、他力本願で
響先輩に頼った挙げ句、ネガティブに身を引いてしまうことを選んだための
BADENDと言うことだとおいらは解釈しています。
 橘さんの言うところの「距離を置く」をポジティブに「見守る」と解釈して、
だとしたらこの不器用な後輩達を響先輩が放っておくことはないだろうなあ、
とさらに拡大解釈した結果、こんなお話になりました。
 あの相談で響先輩は「自分でわかっているんでしょう?」と橘さんに決断を
促しますが響先輩が言わんとしたのは「七咲の気持ちに気づいているんでしょう。
だったらあなたが支えなくて誰が支えるの?」と言うことで、橘さんの回答が
ずれていることに多少なりとも失望感を覚えたんじゃなかろうかと思います。
 そんな、ちょっとずれたでも七咲を思う気持ちに嘘はない後輩と七咲をどう
元の鞘に戻すか響先輩の活躍を書きたくもありましたが、事情を知らない七咲の
モノローグでは今回が限界ってところですね。
 それにしても、橘さんの何もしないこと何もしないこと。
 書いていてそこはかとなく殺意が湧きました(笑)
 ここまでヘタレな主人公と最後の最後で七咲を再会させて良いものだろうか、
途中で書いていてご破算にしてやろうかとも思いましたが、七咲のけなげさと
一途さに負けました。
 響先輩ばりにいうならば「はぁ、まったくもう」ですね。

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