[ エスペラントの歴史 ]
世界/日本のエスペラント運動史年表
Konciza Kronologia Tabelo de Esperanto-Movado Monda/Japana
(編:柴山純一、2004-06)(2007-04補)
* 記号
○ =世界のエスペラント運動。
● =日本のエスペラント運動。
{ } =(もともとエスペラントでない語の)エスペラント表記。
太字で示した略称: その下の項目で略称として使用。
・1859 ○ ザメンホフ({Lazaro} Zamenhof、後の{Lazaro Ludoviko} Zamenhof)誕生(12月15日、帝政ロシア下のポーランドのビヤウィストク(Bialystok, {Bialistoko})にて。
・1878 ○ ザメンホフ、国際語案"lingwe uniwersala" (リングヴェ・ウニヴェルサーラ)を創案。
エスペラント誕生
・1887 ○ ザメンホフ、筆名 Doktoro Esperantoとして国際語"Lingvo Internacia"発表(7月26日)。後にこの言語自身がEsperanto(エスペラント)と呼ばれる。また、この時の本が後に"La Unua Libro"(第一書)と呼ばれる。
・1888 ○ ドイツのニュルンベルクに世界初のエスペラント会設立される。
・1889 ○ ニュルンベルクにて世界初のエスペラント雑誌"La Esperantisto"創刊。
・1891 ● 丘浅次郎(おかあさじろう)、ドイツにてエスペラント学習。日本人初。
・1895 ○ 文豪トルストイの寄稿記事が原因で"La Esperantisto"のロシア持ち込みが禁止される。最初のエスペラントに対する妨害。
・1902 ● フランス人のアルフォンス・ミスレル(Alphonse Mistler)、長崎でエスペラントのことを新聞記事に出す。
・1905 ○ 第1回世界エスペラント大会(la 1a Universala Kongreso de Esperanto, UK)がフランスのブローニュ・シュル・メール(Boulogne-sur-Mer,{Bulonjo-sur-Maro})で開催。
[参考:UK年表]
エスペラント運動に関するブローニュ宣言(Bulonja Deklaracio pri Esperantismo)採択。
「エスペラントの基礎(la Fundamento de Esperanto)」の地位確立。
・1905 ● 岡山在住のガントレット(G.E.L.Gauntlett)、エスペラント通信教育を始める。
日本の組織的エスペラント運動の始め
・1906 ● 日本エスペラント協会(Japana Esperantista Asocio, JEA)が黒板勝美(くろいたかつみ)らによって設立(6月12日)。
機関誌「日本エスペラント(La Japana Esperanto)」創刊(8月)。
・1906 ● 二葉亭四迷(ふたばていしめい)の「世界語(エスペラント)」刊行。日本初の学習書。
・1906 ● 第1回日本エスペラント大会が東京で開催(9月28日、JEA年次総会として)。
[参考:日本大会年表]
・1908 ● 第4回世界エスペラント大会に日本政府代表として新村出(しんむらいずる)出席。
・1908 ○ 世界エスペラント協会(Universala Esperanto-Asocio, UEA)設立。デレギート(delegito)制も発足。
・1908 ○ フランスのボーフロン(L. de Beaufront)らが、エスペラントを改造したと称する国際語案Ido イードで分派活動。
・1912 ○ 第8回世界エスペラント大会でザメンホフはすべての公職から退く。
・1912 ○ 中華民国の初代教育総長(=文部大臣)である蔡元培(Caj Juanpej)は中国の初等教育にエスペラントを取り入れる指示を公布。
・1913 ○● 日本エスペラント協会台湾支部設立。後に台湾エスペラント学会となる。
・1914-1918 ○ UEAは第1次世界大戦での交戦国どうしの個人文通を仲介。
・1914-1921 ● 盲目の詩人エロシェンコ(Vasilij Eroŝenko)が日本に滞在。
・1917 ○ ザメンホフ死去(4月14日)。
・1919 ● 日本エスペラント学会(Japana Esperanto-Instituto, JEI)が小坂狷二(おさかけんじ)らにより設立。JEAは実質的に運動の中心から去る。
・1920 ● JEIは月間の機関誌"La Revuo Orienta"を創刊。
・1920 ○ 全世界無民族性協会(Sennacieca Asocio Tutmonda, SAT)がランティ(E. Lanti)らにより設立。
・1920 ○ 朝鮮エスペラント協会(Korea Esperanto-Asocio, KEA)が金億(キム・オク、筆名Verda E. Kim)らによりソウル(当時の京城)で設立。
・1920-1929 ● 駐日フィンランド公使ラムステット(Gustav John Ramstedt)日本滞在し、エスペラント運動にも貢献。
・1921 ○● 第13回世界エスペラント大会に日本から新渡戸稲造(にとべいなぞう)ら出席。
・1922 ○ 国際連盟第3回総会にて、「国際補助語エスペラントを公立学校の課目に編入する」ことに関する提案を実質的に否決。国際連盟事務次長の新渡戸稲造が尽力したが及ばず。
・1922 ● 宮沢賢治(みやざわけんじ)がエスペラントを学習。
・1922-1924 ○ 各国でエスペラントによるラジオ放送始まる(米国、イギリス、ソ連、カナダ、ブラジル等)。
・1922-1938 ○ ハンガリーから文芸誌"Literatura Mondo"刊行。エスペラント文学におけるハンガリー派(la hungara skolo)の活躍。カロチャイ(K. Kalocsay)、バギ(J. Baghy)ら。
・1923 ● 宗教団体・大本(おおもと)の中にエスペラント普及会(Esperanto-Propaganda Asocio, EPA)結成。
・1923 ● 大杉栄(おおすぎさかえ)虐殺される。1906以来のエスペランチスト。
・1925 ○ 国際電信組織(ITU)にて、エスペラント文の電報は「平文」(暗号でない)と認められる。
・1925 ○ 最初のエスペラント単語入りの切手がソ連から発行される。
・1926 ● 財団法人日本エスペラント学会として文部省の認可を受けて設立(JEIとしては連続)。
・1926-1927 ● 日本でエスペラントのラジオ講座始まる(1926に中国大陸の大連、1927に名古屋、東京)。
・1928 ● 日本盲人エスペラント協会(Japana Asocio de Blindaj Esperantistoj, JABE)設立。
1966に再建。
・1930 ● 日本プロレタリア・エスペランチスト協会(Proleta Esperanto-Asocio, PEA)設立。1931に日本プロレタリア・エスペランチスト同盟(Japana Prolet-Esperantista Unio, JPEU)へ発展したが、これは1934に消滅。
・1936 ○ ナチスがドイツ国内でエスペラントを禁止。
・1936 ○ UEAから国際エスペラント連盟(Internacia Esperanto-Ligo, IEL)が分離。
JEIはIELに加盟したが、1940に脱退。
・1936-1937 ● ランティ(E. Lanti,元SAT組織者)が日本に滞在。
・1937 ○ ソ連で、ソ連エスペランチスト同盟(Sovetrespublikara Esperantista Unio, SEU,1921設立)が解散させられる。
・1937 ● 長谷川テル(はせがわてる、筆名Verda Majo)中国へ渡る。1947没。
・1938 ○ 世界青年機構(Tutmonda Junular-Organizo, TJO)結成。1956に世界青年エスペランチスト機構(Tutmonda Junulara Esperantista Organizo, TEJO)へ。
・1939-1944 ● 自由主義的な傾向のエスペランチストも含め、逮捕者が多い。
・1944-1945 ● 戦時中、JEI機関誌"La Revuo Orienta/エスペラント"休刊。
・1946 ● 日本エスペラント協会(Japana Esperantista Asocio, JEA)結成。(注:1906の同名の組織とは別)。原則としてグループ単位で加盟。JEAは機関誌"Nova Fronto"創刊。なお1950に解散。
・1947 ○ UEAとIELが合流して、UEAとして再出発。
・1950 ○ 中華人民共和国で"El Popola Ĉinio"創刊。
・1951 ● 関西エスペラント連盟(Kansai Ligo de Esperanto-Grupoj, 後にKansaja Ligo de Esperanto-Grupoj, KLEG)結成。機関誌"La Movado"を創刊(後に他の連盟との共同機関誌となる)。
・1952 ● 長田新(おさだあらた)著「原爆の子」の翻訳刊行。この後、「ヒロシマ」、「妻の屍を抱いて」など反原爆文献の翻訳あいつぐ。
・1953 ● 日本エスペラント大会の継続性を維持するため、日本大会常置委員会(Konstanta Kongresa Komitato, KKK)を設置。
・1953 ○ 世界平和エスペランチスト運動(Mondpaca Esperantista Movado, MEM)設立。
・1954 ○ 第4回ユネスコ(UNESCO, {UNESKO})総会にて、ユネスコはエスペラントの国際交流に対する意義を認め、UEAを協力団体とする旨の宣言を採択。
・1956 ○● 日本エスペラント学会(JEI)が世界エスペラント協会(UEA)に、国別加盟団体(Landa Asocio)として加盟。
・1956 ● 日本の組織的エスペラント運動50周年記念の日本エスペラント大会、文献出版など。
・1959 ○● ザメンホフ生誕100周年記念の世界大会、日本エスペラント大会など。また、北朝鮮からも祝賀のラジオ放送あり。(この後、北朝鮮のエスペラント情勢不詳)。
・1960 ● 日本エスペラント大会にて日本への世界エスペラント大会招致決議。UEAも承認。
・1962 ○● 八木日出雄(やぎひでお)がUEA会長に就任。1964病没まで。
・1965 ○● 第50回世界エスペラント大会が東京で、第21回国際青年大会(la 21-a Internacia Junulara Kongreso, IJK)が大津で開催。
・1965 ○● 篠田秀男(しのだひでお)が世界医学エスペラント協会(Universala Medicina Esperanto-Asocio, UMEA)会長に就任。1972まで。1973にShinoda-Premio制定。
・1966 ● 国際語教育協議会(Rondo Harmonia)発足。当時は学生が中心。
・1966 ● ベトナム和平エスペラント・センター(Esperanto-Buroo por Paco en Vjetnamio)設立。機関誌"Pacon en Vjetnamio"創刊。
・1967 ● エスペランチストの由比忠之進(ゆいちゅうのしん)がベトナム反戦を唱え焼身自殺。
・1969-1973 ● 日本の「Hajkista Klubo(俳人クラブ)」より毎年エスペラント原作の俳句集(Hajkaro)刊行。宮本正男(みやもとまさお)ら。エスペラント文学における日本派(la japana skolo)が認められる。
・1973 ● いとうかんじ(伊東幹治、筆名 ludovikito)、ザメンホフ著作全集(Plena Verkaro de Zamenhof, PVZ)の刊行を開始。2004に完結。
・1974 ○ エスペランチストの民泊サービスである「パスポルタセルボ(Pasporta Servo, PS)」がTEJO内に設立。
・1975 ○ イランでエスペラントへの関心、急速に高まる。
・1980 ○ 月刊報道誌"Monato"創刊。
・1980 ○ 国際青年大会参加者有志が、ラウモ宣言(Manifesto de Raŭmo)に署名し参加。
・1982 ○ 第1回日韓青年エスペラントセミナー(la 1-a Komuna Seminario inter Korea kaj Japana Junularoj, KS)が韓国のソウルで開催。
1995より、中国が加わり日韓中青年エスペラントセミナー(KS inter Ĉinaj, Koreaj kaj Japanaj Junaj Esperantistoj)になる。
・1987 ○● エスペラント100周年記念の世界大会、日本大会など。
・1990 ○ UEAからアジアの運動の連絡誌"Esperanto en Azio"創刊。1991より日本で発行。
・1991 ○ 第1回アフリカエスペラント大会(la 1-a Afrika Kongreso de Esperanto)がトーゴで開催。
・1993 ● 日本青年エスペラント連絡会(Japana Esperanto-Junularo, JEJ)設立。1992より機関誌"La Junuloj" 創刊で実質的に発足。日本でのKS開催を担う。1994よりTEJOに加盟。
・1993 ○ 国際ペン(PEN)クラブがエスペラント支部(Esperanta PEN-Centro, 1991設立)の加盟を決定。
・1993-1994 ○ エスペラントの字上符付き文字が、コンピュータ用の文字コード体系のISO 10646(UCS)、ISO 8859-3(Latin 3)規格に各々入る。
・1994 ○● 第79回世界エスペラント大会が韓国のソウルで開催。その大会後観光(Postkongreso)の1コースとして、日本ツアーを、JEIの協力で実施。
・1996 ○ 「国際語エスペラント運動に関するプラハ宣言(Manifesto de Prago de la movado por la internacia lingvo Esperanto)」が宣言され、署名運動が展開される。JEIも協力。
・1996 ○ 第1回アジアエスペラント大会(la 1-a Azia Kongreso de Esperanto, AK)が中国の上海で開催。3年に1度の開催と決まる。
・2003 ● 日本エスペラント運動百周年記念事業委員会(Komitato por la Japana Jarcento-Jubileo de Esperanto,JJJ)が発足し、2006年の該当年に向けて準備開始。
・2004 ● JEIの「La Revuo Orienta/エスペラント」誌が1000号に達した(6月号)。
日本の組織的エスペラント運動100周年
・2006 ● 日本エスペラント大会が岡山で開催。日本エスペラント運動百周年記念大会。
・2007 ● 世界エスペラント大会。日本(横浜)で開催。(日本で2回目)
* 後記
・ 項目の選択は編者の責任である。
・ 本年表は"La Revuo Orienta" 1000号掲載の年表をもとに、ウェブ掲載用に手を加えたものである。
・ 記述にあたっては、日本人名のよみがな併記、外国人名のローマ字表示併記にこころがけた。
(
注: 
= 日本エスペラント学会のサイト内,

= サイト外)