「はあ…… なんであんなこと約束してしもうたんやろ……」部屋の机に突っ伏して、1人の少女が溜息をついていた。
長い髪の毛を三つ編みに結った髪型、特徴的な神戸弁。
もちろん、保科智子−委員長である。「でもなぁ 今更引くに引けへんし…… どうしよぉ」
『コンテストに出よう! −彼女の憂鬱はヤツのせい−』
ことの起こりは数日前の放課後。
学校からの帰り道。
すでにまんざらでもない仲になっていた浩之と、商店街を歩いている時のことだった。「なあ、委員長」
「委員長って言うのはやめてって言うてるやろ」
「ああ、ごめん。 ……その、智子」
「なに?」
「いや、あんなポスターがあるんだけど、い、じゃなくて、智子が出たら面白いかな?ってさ」ショーウィンドウの端の方に貼ってあったポスターには、ミス商店街コンテストの文字。
「ふーん。……で?」
「あ、だ、だから、智子なら入賞間違いなしだと思ってさ」
「あほくさ。なんで私が出ないかんの。ええさらしものやないか」
「副賞はペアで沖縄4泊5日らしいぜ。モノは試しって言うしさ」
「あのなあ、だからなんで私が出ないかんの。沖縄やったら、バイトしてお金貯めれば済む話や」
「いや、ほら、うちの学校バイト禁止だし」
「黙認状態やけどな」
「そ、それにさ、バイトするってったって貯まるまでに夏が終わっちまうぜ」季節は春から夏に移ろうとしていた。
確かに浩之の言うとおり、今からバイトしても夏までに軍資金が貯まるとは思えない。「沖縄でなくたってええやない。それこそ近くの海でも私は満足や」
「そうだけどな。でもさあ……」
それからしばらくの間、浩之は嫌がる委員長をあの手この手で説得した。
なんのことはない、コンテストの水着審査が目当てである。
このコンテストの密かな売りは、水着審査が今時珍しくビキニタイプの水着で
行われること。
もちろん夏になって、2人で泳ぎに行けば委員長の水着姿は見れるのだが、
委員長のことだからワンピースタイプの地味目な水着の可能性が高いので、
浩之はこうして粘っているのだ。
この時点で浩之の煩悩に満ちた頭の中には、自分の彼女のビキニ姿を自分以外の
人間も堪能できる、と言う悔しい状況が全く想定されてなかったのは言うまでもない。
さすがは下半身でモノを考える男である。「な? 2人の思い出作りのためにもこの夏は沖縄だと思うんだよ」
「んー それはそうかもしれないけど、な……」2人の思い出作り……いい響きだ。
だがしかし、その言葉の裏には下心が隠されている場合が多い。「よし、じゃあこういうのはどうだ?」
浩之が妥協案を出す。
「この間、オレのテストの成績がどうこう言ってただろ?」
「え? うん、少しは勉強せなあかんよ、って言うたけど」
「じゃあさ、来週の実力テストでオレが1科目でも智子に勝ったらコンテストに出る、って言うのはどうだ?」
「はあ? なに言うかと思ったら随分虫のいい交換条件やないか」
「もちろん、ただとは言わない。もしオレが1科目も勝てなかったら、その次の休みは一日智子の言うことを聞くぜ。それでどうだ?」委員長にとって、それはかなり魅力的な条件だった。
ここ最近、デートと言っても浩之に引っ張り回されてばかりだし、いくつか行ってみたいところもあった。
なにより罰ゲームの口実の元、浩之に思う存分甘えられるのだ。
彼女の心は揺れていた。
まかり間違って浩之に負けるようなことがあったら―そんな気はまずしないが―コンテストで水着にならなければならない。
商店街のイベントだ、クラスの連中に見られるのは必定。
間違いなくさらし者である。
しかし、冷静に考えてみれば、自分が浩之に1科目たりとも後れをとらない自信もある。
まず間違いなく分のいい賭だ。
リスクは大きいが。「わかった。その賭乗ろうやないか」
「そうこなくっちゃな」
「そしたら確認やけど、今度の実力テストで藤田くんが私に1科目でも勝ったら、私がコンテストに出る」
「オレが1科目も勝てなかったら、その次の休みは1日智子の言うことを聞く。じゃあ、決まりだな」
「言うとくけど、負けへんからな」
「あー はいはい」話はついた。
それから数日。
浩之は寄り道もせずに帰っている。
授業とかでわからないことがあると、委員長のところに聞きに来るようになった。
とある日の昼休み。
「なあ、委員長」
「なに?」ノート片手に浩之が委員長のところにやってきた。
「4時間目の化学だけどさイマイチわかんないんだ」
「どこがわからへんの?」
「ここ」と、浩之が教科書を指さした。
「熱してこいつができるのは、まあそんなもんなんだろうけど、なんでできたこいつをわざわざ抜かなくちゃいけないんだ? 放っときゃそのうち全部こいつになっちまうと思うだけど」
「さっきせんせが”この反応は平衡反応”って言うてたやろ?」
「ああ、そういや言ってたな」
「だからできたこれを抜かないけないんや」当たり前のように答える委員長。
「ちょ、ちょっと待てよ。だから、なんで平衡だとこいつを抜かなくちゃいけないんだよ」
「平衡反応は、例えばAからBをつくる場合、ある決まった割合にAとBがなったところで反応が落ちついてしまうんや」
「てーことは、いつまで経っても全部Bにならないってことか?」
「そうや。それで、どんな時でもAとBは決まった割合になるわけやから……」……と言う具合に、わからないところを浩之の方から積極的に聞きに来るのだ。
聞くところによると家でも結構真面目に勉強しているらしい。
おそるべし、煩悩パワー。
アッという間に実力試験の前日。
「へー それでこんなにがんばってるんだね。浩之はやればできるからね」
委員長が浩之に勉強を教えていると、横を雅史が通りがかった。
話の行きがかり上、もちろん何を賭けたかは伏せて、例の賭の話をしたらこんなコメントが
返ってきたのだ。「やればできるって、ほんま?」
ちょっとびっくり顔の委員長。
いつもの感じからすると結構意外な一面かも知れない。「うん、浩之って単に面倒くさがってやらないだけで、本気出すとすごいんだ。サッカーだってそうだよ」
「雅史、いい加減あきらめろよ。サッカーはもうやらないっていってんだろ」
「もったいないなあ、ちょっと本気出せばすぐにレギュラーなのになあ」
「ま、その話はまた今度な。でさ、ここの式なんだけど…… って、おーい」
「えっ!? あ、ごめんな。ちょっと考え事してた」幼い頃から浩之を見てきた雅史の一言だけに、言葉に重みがある。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだが、この勝負楽勝と思っていた委員長の心の中に不安が宿った。気になってそのことを、それとなくあかりに聞いてみると……
「うん、浩之ちゃんは本気出すとすごいんだよ」
とあかりは即答し、ご丁寧に高校入試の時の浩之のラストスパートのすごさまで話して聞かせてくれた。
どこか遠くの方を見ながら。委員長の不安は膨らむ一方だった。
確かにここ数日の浩之のレベルアップには、委員長自体舌をまいていた。
考えれば考えるほど、明日の試験が憂うつなものになっていく。
”負ける気がしない”と言う当初の自信は、今や”万が一負けたらどうしよう”にトーンダウンしていた。
その結果、冒頭の状況になったわけである。「悩んでも仕方ない。やれるだけやっておこか……」
机から顔を上げると、あまり乗り気でない頭を励ましつつテキストに向かう。
脳裏を、コンテストの壇上でさらし者になる自分の姿が浮かんでは消えていった。「人前で水着なんて、そんな恥ずかしいこと絶対嫌やー」
深夜、委員長の部屋からそんな絶叫が響いたとか響かなかったとか……
そして実力試験当日。
目の下にくまを作った浩之と委員長が、黙々と問題を解いていた。
休み時間も特にしゃべることはなく、机に突っ伏したり、問題集開いたり。
別に意識してしゃべらないわけではなく、浩之はこれまでの疲れと前日の徹夜がたたって、
委員長は前夜悪いこと想像ばかりが頭をめぐって寝付かれず、ともに寝不足でそれどころでは
なかったからだ。キーンコーンカーンコーン
その日何度目かのチャイムが、試験の終りを告げた。
全科目終了、である。
チャイムとともにバタッリと机に突っ伏す浩之。
大きく、深呼吸とも溜息ともつかない息をつく委員長。「なあ、どうだよ調子は」
浩之が突っ伏したまま聞く。
「そっちこそどうやった?」
机に肘をついて、そのうえにあごを乗せた委員長がそう返す。
「まあまあ、かな……」
「ふーん」
「とりあえず、帰るか」
「うん」
帰りの坂道。
のろのろと坂を下りていく2人。「それで、試験の感触は?」
前を向いたまま委員長が浩之に尋ねた。
「まあまあだな」
同じく前を向いたまま答える浩之。
「ふーん」
「えらくそっけないな」
「まあまあ程度で勝てるほど、甘くはないってことや」
「まあ、そりゃあそうだな。ホントのとこ、どれもこれも8割程度ってとこだ。そっちのミスでもない限り負け確定だな」
「……なら、勝てるかも知れないな」ちょっとした間の後、委員長がそうつぶやいた。
「へ?」
予想もしない言葉に一瞬固まる浩之。
「化学でちょっとケアレスミスしてな、普段なら間違いなく取れる問題を落としてしもうたんや。これじゃ、学年順位もかなり下がってしまうやろなあ」
委員長は自嘲混じりの溜息をつきながら答えた。
「マジか?」
「嘘ついてもしかたないやろ」
「じゃあ、この勝負は返却されないと結果がわかんないってわけか」
「そう言うことや。ま、それでも負けてないと思うけどな」俄然色めき立つ浩之に、委員長は精いっぱい強がってみせた。
坂を下りきって、商店街の方へ向かう2人。
例のポスターの前で委員長が立ち止まった。「なあ、藤田くん」
「なんだ?」
「なんでこれに私を出したいと思うたん?」
「いや、副賞に目がくらんで」
「ほんまにそれだけか?」鋭いツッコミ。
女の感ってのは恐ろしいものである。
もっとも、今回のはバレバレかもしれないが。「おお、それだけだ」
内心冷や汗もので答える浩之。
とその時、2人の後ろからどっかで聞いた声が聞こえてきた。「あれ〜 ヒロに保科さんじゃない。そんなポスターの前でなにやってんのよ?」
自称NO.1美少女、歩くスピーカー志保だ。
「どんなヤツが応募すんのかと思ってね」
とりあえず気のなさそうな返事をする浩之。
ここで今回の一件が志保にばれると面倒だと思ったらしい。「ああ、これ? うちの学校からも何人か応募するみたいよ。もち、この志保ちゃんも応募」
「マジでおまえこれに応募すんの?」
「悪い?」
「悪いとは誰も言ってないだろう」突っかかってくる志保。
だが、今回は浩之のリアクションは責められないだろう。
こんな場末のイベント、まともに行われるとは到底思えない。「長岡さん、なんでこれに出よう思うたん?」
「ミス商店街としての名声もそうなんだけどね。副賞が沖縄旅行でしょ? ちょっと魅力的かなーって」なんで沖縄程度でこんなに盛り上がれるのか不思議だが、志保はやる気満々と言ったところだった。
「でもねー ちょっと不満あるのよねー このイベント」
「不満? 不満って何が不満なん?」
「この手のイベントで水着審査があるのは仕方ないとしてー 問題はその水着」
「水着?」
「そう、なんでか知らないけどさ、セパレートのビキニタイプ限定なんだって。きっと商店街のおっさんたちの趣味よ。これ」
「へー それは知らんかったわ。なんや、趣味丸だしな指定やな」そう言いつつ、委員長は浩之の方を向いた。
さっきまで横にいたはずの浩之の姿はそこにはなく、志保の後ろをむこうに向かって一目散に走って行くところだった。「でしょぉ。ま、この志保ちゃんのナイスバディなら、ビキニだろうとなんだろうと問題ないけどねー
ただで見せちゃうのはもったいないかなーって思うけど」1人で盛り上がる志保を後目に、無言で委員長が駆け出した。
「でね、水着審査の他に歌の審査もあるのよ。歌はもういただきって感じだからぁ。問題は水着よねえ。どんなのを着てもこの志保ちゃんならOKだけど、より引き立てるようなデザインがいいでしょ? だからさっきから……」
志保、視界からフェードアウト。
獲物をロックオンした委員長の視線は、逃げる浩之を確実にとらえていた。「藤田くん、どこ行く気や〜〜」
「わりい、急用思い出した〜〜」
「そんなバレバレな言い訳、見苦しいで〜〜」
悪いことはできないもので、今日は月に一度の商店街のセールの日。
当然のようにごった返す商店街の人波に行く手を阻まれた浩之は、アッという間に追いつかれてしまった。「藤田くん。ちょっとこっちにきぃ」
委員長に捕まった浩之は、ズルズルと引きずられるように公園へ連れて行かれたのだった。
夕暮れの公園。
夕焼けに照らされるベンチ。
灯り始めた街灯。
すごくいい雰囲気。
甘くささやきあう2人のためのシチュエーション。
そんな絶好の状況で浩之は……反省ザルのようにうなだれながら、上目遣いに目の前に立つ少女を見上げていた。
仁王立ちする少女。
自業自得と言うヤツである。
同情の余地無し。
逃げなけりゃまだ情状酌量があったかも知れないのだが……「……で、なんで逃げたりしたん?」
「……」
「なんで逃げないかんかったの?」
「……」
「黙ってたらわからないやないか」委員長キレる寸前。
でもさすがの浩之も「委員長のビキニ姿が見たかったからやりました」とは言えないようようだ。「あー もうええ。そんなにしゃべりたくないんならしゃべらんでええ。いきなり逃げ出したかと思えば黙りで、あー もう無茶腹立つわ」
プイと横を向く委員長。
と、そのスキを見はからって浩之がダッシュ!パシイィィィィィィィィーーーーーン!!
その刹那、公園にひときわ派手な音が鳴り響いた。
「ぐあっ」
どう、と前のめりに倒れる浩之。
「わたしから逃げようなんて、10年早い!」
委員長が、逃げようとした浩之の後頭部を特大のハリセンではたいたのだ。
「お、おまえ、それどっから出したんだ」
息絶え絶えにツッこむ浩之。
「そんなん、乙女の秘密や」
委員長はそう答えると、どこへともなくハリセンをしまい、浩之の首根っこをぐいと掴んでベンチに引きずり戻した。
「さ、キリキリ白状してもらおか?」
それでも黙りの浩之。
「いーかげん、本気で怒るで」
そう言って浩之をにらみつける委員長。
今までのは手加減が入っていたらしい。
しばらくして、伏し目がちに顔を上げた浩之がぼそぼそとしゃべりだした。「……志保の言ってたとおりだよ」
「え?」
「志保が言ってただろ? あのコンテストは水着審査がビキニだって」
「そう言えばそんなこと言うてたような……」
「見てみたかったんだよ、智子のビキニ姿」
「なーっ」委員長の顔が見る間に赤くなっていく。
「普通に海に行っても、恥ずかしいとか似合わないとか言ってああ言うのは着ないだろ?
だから、コンテストみたいなシチュエーションなら見れるかな……と」
「はぁ……」
「でも、こんなこと言ったらきっと嫌がるだろうし、ばれたら怒るだろうと思ったから……」
「ばれそうになって逃げたんか?」うんうん、とうなずく浩之。
かなり格好悪い。「……あほ」
赤い顔のまま、プイと横を向く委員長。
「確かに今考えるとすげえあほだったと思う」
「そうやない」
「へ?」
「なら最初から、コンテストがどうこういわんとそう言うてくれれば……」
「言えば、どうなったんだ?」
「あほ、恥ずかしいこと言わさんといて」照れ隠しにあらぬ方を向く委員長。
その横顔を夕日が朱く染めていた。
ちょっとした沈黙。
空が茜色から紫になって、そして暗くなっていく。「藤田くん、これからちょっとつきあってもらえるか?」
「いいけど、塾は?」
「今日はええから」
「智子がそう言うならオレはいいぜ」
「うん、なら、行こか」そう言うと委員長は商店街のほうへと歩き出した。
「ちょっ、ちょっと待てよ。どこに行くんだ?」
「決まっとるやないか」そう言って委員長が浩之のほうへ振り向いた。
穏やかなちょっとはにかんだような笑顔で。「夏に着るビキニの水着を探しに行くんや」
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おまけ。
そして数日後。
「うそやーーー」
「3点差で化学はオレの勝ちーー!」
「なあなあ、夏に一緒に行く海でビキニ着るんやから、コンテストの話は……」
「んー どうしようかなあ。どうせなら沖縄のほうがいいしなあ」
「そんなー 堪忍やー」そんな会話があったとかなかったとか。
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あとがき
ちひろです。
思いつきでこんな話を書いてみました。
オレ的初の委員長SSです(笑)
ま、雰囲気が出てればいいなってことで。
時系列的には委員長シナリオの5〜6月くらいに
入ってくるお話になります。
浩之が委員長のことを「智子」と呼ぶのには
かなり違和感があるのですが、学校の外で委員長と
呼ばれるのを嫌がるという話ですので、智子と呼び捨てることに
してみました。
ご意見、ご感想がありましたらお聞かせ下さい。
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収録に当たって
半年かかってようやく手直しが終わりました。
収録に当たって、図書館や奈落に投稿した内容を色々と手直ししたんですが、
仕事が忙しかったとは言え、まさかこんなにかかるとは思っても見ませんでした。
投稿時に感想を下さった皆様、ありがとうございました。
手直しの元となるアドバイスをくれた久々野さんに感謝します。