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きんもくせい

 
 

空の高いところを うろこ雲が横切るようになりました

ひと雨ごとに 風が冷たさを増していきます
 

坂の上のイチョウ並木も すっかり色づいて

秋真っ盛り と言った感じです
 

でも 秋が来ようとなにしようと

お店が暇なのは いつもと一緒
 

今日もお茶を飲みながら ほけっと窓の外を見ています
 
 
 

窓の外には 植木の相手をするマスター

その向こうに お昼過ぎの空とうろこ雲
 

ここ最近見慣れた いつもの風景

ありゃ マスター大きなあくび……
 

そんなマスターを見ながら 今日のお夕飯のことを考えていたら

ふわっと風が お店の中に舞い込んできました
 

春とはまた違う 秋の風です
 
 
 

くんくん…… この香りは……

舞い込んだ風が 一緒に甘い香りを連れてきてくれました
 

風に乗ってやってきたのは 甘い甘いきんもくせいの香り

秋を感じさせてくれる そんな香りです
 

でも 一体どこから薫っているんでしょう?

この辺に きんもくせいは咲いていないはず
 

不思議です
 
 
 

気になったので きんもくせいを探しに行くことにしました

お店を出て マスターに声をかけます
 

「店も暇だし、行って来な」 とマスター

「すぐもどりますから」 とわたし
 

どうやらマスターも この香りがどこから来るのか気になっていたみたいです

「店閉めるわけにいかねえしなぁ」 と残念そうです
 

さて きんもくせい探しにでかけましょう
 
 
 
 
 

勢い込んで出たまではよかったのですが 困ったことが一つあります

お店を出たとたん 風が止んでしまったんです
 

これではきんもくせいがどこにあるのか 方角がわかりません

風が吹くまで待ってもいいのですが なんだか日が暮れてしまいそう
 

だから取りあえず 歩きだすことにしました

お店の近所で きんもくせいがありそうな場所に向かって
 

さて どっちにいきましょう?
 
 
 

お店のすぐそばにある 小さな丘まで歩いてきました

階段を登り切ったところに お稲荷さんが祀ってあります
 

その昔 マスターがまだ小さい頃によく遊んだんだ場所

お社の屋根に登ったところを見つかって 怒られたんだそうです
 

でも ここではないようです

今までほのかにしていた香りが なくなってしまいました
 

こっちではなかったみたい 来た道を引き返します
 
 
 

お店の前まで 戻ってきました

相変わらずマスターが 植木の相手をしています
 

「どうだった?」と マスター

「お稲荷さんにはなかったです」と わたし
 

きんもくせいの香りは 確かに強いけれど

でも そんな遠くまでは薫らないはず
 

はてさて困ってしまいました 今度はどっちへ行きましょうか?
 
 
 
 
 

ちょっと考えていると またもやふわっと薫ってきました

きんもくせいの香りが 漂ってくるのは……
 

今いる場所で あっちを向いたりこっちを向いたり

くんくんくん と鼻を利かせます
 

ありゃ 裏のおばあちゃんちの方からです

でも おばあちゃんちにきんもくせいは植わっていなかったはず
 

はて どういうことでしょう?
 
 
 

論より証拠 案ずるより生むが易し

とりあえず 裏のおばあちゃんちに行ってみることにしました
 

お店の横を通り抜け おばあちゃんちの裏木戸をから中に入ります

ありゃま なんだか香りが強くなってきたみたいです
 

香りの元は……

お庭です
 

小走りにお勝手口の横を通り 母屋を回り込みそして……
 
 
 
 
 

あった……
 
 

みつけました

まさか ここに咲いていたなんて
 
 
 
 
 

おばあちゃんちの お庭の片隅 

寄り添うように立つ 2本のきんもくせい
 

枝いっぱいに花をつけ 輝くばかりに咲き誇るその姿は

なんだかとても 眩しくて
 

まるで そこだけが周りから浮き出ているような

そんな光景
 

思わず見入ってしまいます
 
 
 

「よ、しい姉ちゃん。どうしたよ」

不意に 後ろから声がしました
 

びっくりして あわてて振り返ります

まるで いたずらを見つかった子供のように
 

声の主はケンタさん おばあちゃんのお孫さんです

ちっちゃい頃からうちの常連さんで マスターやわたしとも顔なじみ
 

不思議そうな顔で こっちを見ています
 
 
 

「あー、これ?」

振り向いたわたしときんもくせいを交互に見ながら ケンタ君がそう言いました
 

「……うん」

びっくりしていて それだけ答えるのがやっとです
 

「これよ こないだもらってきたんだ 知り合いんちで切っちまうっつーから」

どうやらこのきんもくせい 命拾いをしたみたいですね
 

だからこんなにうれしそうに咲いている そんな気がします
 
 
 

「そっか、それじゃケンタ君はきんもくせいの命の恩人だね」

一息ついてから 彼に向かってそう言います
 

「あー、そんな大層なもんじゃねえって」

ほっぺをポリポリかくケンタ君 これは照れ隠しするときの彼のクセ
 

「たまたまよ。庭の隅っこが空いてたからよ。そこに植えただけでよ」

別に言い訳しなくてもいいのに なんだか言い訳のような返事
 

ちょっとだけ かわいいです
 
 
 

「……で、しい姉ちゃんはなにしに来たの?」

話を元に戻し ケンタ君がそんな風に問いかけてきます
 

「わたし? うん、この香りに誘われてきたの」

そう たまたま薫ってきたこの花の香りに惹かれてここまで来たんです
 

「んー なんつーか 蝶々みたいだな しい姉ちゃん」

ケンタ君が そんな風に笑います
 

花の香りに誘われて花に…… 確かにわたし蝶々みたいですね
 
 
 

秋の日の昼下がり

甘い香りに誘われて ちょっと探しに出てみたら

身近なところに ”秋”を見つけました
 
 
 
 

fin20001102
20010119手直しして掲載
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「……と言うことなんです」

まだ植木の手入れをしているマスターの前に きんもくせいを包んだハンカチを広げます
 

あっと言う間にあたりに広がる 独特な香り

この時期だけの 甘い香りです
 

「まさか おばちゃんちに咲いてるとはな」

マスターも知らなかったみたい
 

秋の楽しみが増えた と喜んでいます
 
 
 

「そっか つーことはそろそろいい時期だな」

マスターがきんもくせいを見ながら そう言いました
 

「あ そう言えば……」

この時期のお決まりのことを コロッと忘れてました
 

「今度の連休あたり 行ってみようか?」

マスターが にっと笑っています
 

今度の休みにお出かけ決定 今から楽しみです
 
 


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