「司令部七不思議」


「遅くなりました」
「到着デース」

 カラカラカラと引き戸の開く音がして、航空母艦加賀を筆頭に主力艦隊の面々が
店に入ってきた。

「キッチリ五分前とはさすがだな」

 既に席を陣取っていた巡洋艦の天龍がそう答えた。水雷戦隊の面々や遠征部隊は
もう先に来て始まるのが今かと待っていたようだ。

「提督と五月雨さんはまだ?」

 天龍の声に顔を少し動かして答えた加賀が、店の中をぐるっと見回して聞くとでも
呟くとでもないくらいの声を出した。

「例の会議が遅れてるんじゃないかな」

 天龍が加賀の声を聞きつけて返答する。

「そう……」

 加賀はうなづくと自分が座る場所を決めて腰を下ろし、居ずまいを正してこう続けた。

「提督からは遅れるようならば先に始めておいてくれと言付かっています。
時間が来たら始めましょう」

 加賀の言葉に天龍が格好を崩す。

「そうこなくっちゃ。待ちきれない連中もいるようだし、提督が来るまで
練習と行くか」
「練習ってなにの練習よ」

 天龍の言葉に駆逐艦叢雲がすかさずつっこみを入れる。

「そりゃあもちろん乾杯の練習に決まってらあ。なあ親分」

 駆逐艦涼風がニコッと笑ってそう混ぜ返す。

「……単に飲みたいだけだよね」

 駆逐艦霰がボソッと核心を突いた。さすが天龍水雷戦隊。抜群のチーム
ワークである。

「こういう時に遅れてくるなんて、全くあのクソ提督は」

 ただし駆逐艦曙は通常運行のようだ。

「そうだけどよ。このまま料理の匂いだけでお預けとか腹減って死んじまうだろ」
「それもそうデース」

 天龍が肩をすくめてそうぼやくと戦艦金剛が同意した。店内の艦娘たちからは
笑いがこぼれる。その笑いをきっかけに軽空母鳳翔と給糧艦間宮が飲み物を配り始めた。

「よーし、じゃあ始めるか。乾杯の音頭は誰が取るんだ? やっぱりここは加賀か?」

 天龍のご指名に加賀が立ち上がる。

「では僭越ですがご指名により……」
「あー、もう相変わらず硬いな。加賀は。練習なんだからちゃっちゃっとやろうぜ、
ちゃっちゃっと」

 苦笑いしながら天龍がつっこむ。加賀はいつもと変わらないのだが、天龍が待ちきれ
ないのだろう。

「…… では練習ですのでちゃっちゃっと。皆さん本年はお疲れさまでした。乾杯」
「かんぱーい!」


 とある鎮守府のとある司令部。そこに開設された手練れの軽空母が営む食事処「鳳翔」。
今宵ここで司令部の忘年会が催されていた。司令部には海外艦も着任し、人員も増え規模
が大きくなったが、その全ての所属艦娘が揃い、鳳翔と間宮が腕によりをかけた料理を
振る舞う、そんな宴だ。

「クソ提督の巻き添えで五月雨が間に合わないなんて最悪ね」

 曙が悪態をつく。

「まあ、そう言うなよ。会議の最中に忘年会があるから秘書艦を先に帰しますなんて
言えないだろう?」

 天龍がグラスを傾けながら曙をいさめる。

「それはそうかもしれないけど……」
「提督のことだからきっとなにか考えているわ」

 なお食い下がる曙に加賀がそうかぶせた。どうだか、と曙は返してみたが確かに
あの提督なら自分は遅れたにせよ五月雨は先に帰そうとするに違いない。そこまで
考えて言い返すのをやめた。

「五月雨のことだから、戻ってくる最中にこけたとか迷ったとかそんなんじゃないか」

 さすがにそれはないか、と付け加えながら天龍が笑う。

「どうだろうなあ。おっちょこちょいだからなあ」

 と涼風が苦笑いをする。ないと否定できないのが五月雨だ。

「はい、おまちどおさま」

 鳳翔が料理を配って回る。待ってましたとばかりに箸がのび、口にした艦娘たちに
笑顔が広がっていく。やがて、カレーフェスティバルの優勝を祝して乾杯し、日々の
奮闘に乾杯し、司令部の全員に乾杯し、と乾杯が繰り返された。

「ねえねえ、あの話は本当かしら」
「噂ではそうらしいっぽい」
「へー、そうなんだ」

 駆逐艦睦月と駆逐艦夕立、駆逐艦吹雪が目の前に座る重巡愛宕を見ながらひそひそと
やりとりをする。

「あら、どんな噂?」

 愛宕がそのやりとりを聞きつけて尋ねた。

「え、あ、いや、その、なんでもないです」

 睦月が慌てて取り繕う。

「そう? なんでも聞いてくれていいのよ」

 いい頃合いにできあがってほんのり赤い愛宕があごに人差し指を当てつつそう微笑む。

「じゃ、じゃあ。愛宕さんのあれをやると、おおきくなるって本当ですか?」

 お言葉に甘えて、とばかりに吹雪が問いかけた。

「うふふ。さあ、どうかしら。一緒にやってみる?」
「え? え?」

 そう言うと愛宕は崩していた脚を直して正座した。

「それじゃ、ご一緒に。ぱぁんぱかぱぁーん」

 いつものように愛宕が両手を大きく広げた。

「ぱ、ぱんぱかぱーん」
「ぱんぱかぱーん」
「ぽいぽいぽーい」

 愛宕の動きにのせられて思わず両手を広げる夕立たち。

「もう一度。ぱぁんぱかぱぁーん」
「ぱんぱかぱーん」
「ぽいぽいぽーい」

 なぜか夕立だけがいつもの口調だ。

「はい。ぱぁんぱかぱぁーん」
「ぱんぱかぱーん」
「ぽいぽいぽーい」

 愛宕が調子に乗ってきたのか、徐々に声と動きが大きくなる。

「ぱぁんぱかぱかぱかぱかぱかぱぁーんっ」
「ぱんぱかぱかぱかぱかぱかぱーん」
「ぽいぽいぽいぽいぽいぽいぽーい」
「ぱぁんぱかぱかぱかぱかぱかぱぁーんっ」
「ぱんぱかぱかぱかぱかぱかぱーん」
「ぽいぽいぽいぽいぽいぽいぽーい」

 最近バリエーションに追加されたというロングバージョンが飛びだし。

「ぱぁーんぱん、ぱんぱんぱぁーんっ」
「ぱーんぱん、ぱんぱんぱーん」
「ぽーいぽいぽい、ぽいぽいぽーい」
「ぱか、ぱか、ぱかぱかぱぁーんっ」
「ぱか、ぱか、ぱかぱかぱーん」
「ぽいぽい、ぽいぽい、ぽいぽいぽーい」

 果てはこれまで聞いたことのないようなフレーズまで。

「はい、よくできましたぁ。うふふ」

 なぜかふうふうと肩で息する睦月、吹雪、夕立に満面の笑みを投げかける愛宕。
どうやらとても楽しかったようだ。

「あ、愛宕さんの神髄を見た気がするっぽい……」

 そう言いながらテーブルに突っ伏す夕立。

「そりゃあ、あれをずっとやってりゃ大胸筋が鍛えられるかもしれないけどなあ」

 と天龍が呆れたように呟いた。

「そうね。でも、潮なんてなんにもしなくてもああだし」

 とやはり呆れ顔の曙。愛宕一人がにこにこするのであった。


 カラカラカラ。

「遅くなってすみません!」

 開いた引き戸の戸口に駆逐艦が一人。書類を抱え戸に手をついて荒くなった息を
整えている。胸には秘書艦の徽章。青く長い髪が特徴の駆逐艦五月雨だ。心なしか服の
裾が汚れているようにも見える。

「会議を途中で抜けてきたんですが、初めて行った建屋と会議室で帰り道がわからなく
なって迷っちゃって、ようやく帰り着きました」

 どうやら天龍たちの冗談は杞憂ではなかったようだ。加賀がスッと立ち上がると戸口
まで行って五月雨の荷物を受け取った。

「お疲れさまでした。戻りが遅かったので始めていました」

 加賀はそう言うと五月雨の服に汚れを見つけ、はたいて落とした。

「ありがとうございます。暗かったのもあって途中で転んじゃって」

 えへへと苦笑いする五月雨。

「それは大変でしたね。外は寒かったでしょう。先ずは暖まるといいわ」
「はい」

 加賀の労いに笑みを浮かべる五月雨。

「それで提督はどうしたんだ? 居残りか?」

 天龍が、五月雨が抜けてきたと言ったので提督の所在を確認する。

「はい。まだ会議中です。私も最後まで残ると言ったのですが…… 」
「とりあえず五月雨だけ帰した、か。提督らしいな。どうせそんなこったろうと思って
たんだ」

 よし五月雨も来たし何回目かの乾杯だ、と天龍は周囲に声をかけると五月雨にグラスを
渡した。

「最先任秘書艦殿。提督の代わりに一言頼むぜ」

 天龍が茶化した風に言った。

「はい! えっと皆さん日頃の奮闘ご苦労様です。あっという間に年末になっちゃい
ましたが、おいしい料理と飲み物で今年一年の疲れを取って、来年も頑張りましょう。
乾杯!」
「かんぱーい」

 五月雨の音頭で艦娘たちが何度目かの杯を掲げた。

「手慣れたもんだな」
「さすがは最先任ね」

 天龍が誰に言うともなく呟くと加賀がそれに応えた。

「よし水雷戦隊が全員揃ったな。先ずは駆けつけだ」

 天龍が自分のグラスを持って五月雨に絡みに行く。

「おう、親分!」

 天龍に涼風が続く。

「誰か芸やれ芸」

 そんな声がどこかからかかり。

「はい! 那珂ちゃん歌いまーす」

 それを受けて待ってましたとばかりに軽巡那珂が手を上げて立ち上がった。

「それじゃあ行くよー。恋の2-4-11 ! 誰かバックダンサーお願い!」

 那珂のリクエストに全艦娘の視線がある一人の艦娘に集中した。

「あ、あたし!?」

 突然話を振られて戸惑う曙。

「曙ちゃん踊れるでしょ」
「うんうん」

 五月雨と潮がはやし立てる。

「あー、もうわかったわよ!」

 曙は立ち上がると那珂の後ろに陣取った。流れ出すイントロ。リズムを取る那珂と曙。
歓声の中、那珂のオンステージが始まった。その後もあちこちで様々な話題に花が咲き、
笑いの輪ができ、賑やかなムードで宴が進んだ。途中、カレーフェスティバルの優勝
報告の場面では……。

「みなさーん、ちょっと聞いてくださーい」

 五月雨がみんなに声をかける。

「カレーフェスティバルの優勝を記念して、鳳翔さんから皆さんに
ご報告があるそうです」

 五月雨の声が店内に響き、賑わいが少し収まったタイミングで鳳翔が口を開いた。

「皆さん、カレーフェスティバルの時はご支援ご声援ありがとうございました。
お陰さまでうちのレシピが一番になり、とてもうれしく思っています。実はあのあと
司令部の中だけではなく外からおいでになるお客様からもあのカレーはないのかと
お声がけいただくことが多くなったので、特製カレーを定番メニューにしようと
思います。いかがかしら」
「Great! Big surprise ネ。私、毎日食べに来ちゃいマース」

 金剛の言葉に艦娘たちが同意する。裏メニューなので頼んだ時にあれば出して
もらえるのだが、定番化されるのはそれはそれでうれしいのだ。

「ありがとうございます。料理はまだまだあるからたくさん食べていってね」

 鳳翔はそう微笑むとカウンターの中に戻っていった。


 提督不在の中で更に宴は続き、飲み過ぎたのか轟沈する艦娘の姿もチラホラ
見えだした頃、天龍が思い出したように口を開いた。

「なあ、よくなんとかの七不思議って言うけれど、この司令部にもそう言うのが
あるみたいだぜ」
「ふぇ? そうなんですか?」

 最古参の五月雨が首をかしげた。彼女は知らないらしい。

「一番古い五月雨が知らないのに七不思議もあったもんじゃねえなあ」

 どうやら涼風も知らないようだ。ところが……。

「シッテマース。夜中に司令部にでるwill ‐ o'‐ the ‐ wisp。鬼火のことネ」

 と金剛。

「突然酒保から全てのお酒が消えることがある、と聞いたことがあるわ」

 と加賀。

「暗い廊下の向こうから転ぶ音とさめざめと泣く声が聞こえるって」

 と潮。

「誰もいないはずの司令部の一番奥の部屋からかすかな音と息づかいが聞こえるって。
あたしは見たこともないけど」

 と曙。

「以前、新任艦娘には着任記念耐久マラソンが課せられていた……と聞いたことが
あります」

 と吹雪。その他にも……。

「一航戦と五航戦の仲が良い」
「夜道で、いやいやと嫌がる声が聞こえたと思ったら、くらーくらーとなにかの儀式の
ような声が続けて聞こえてきた」
「実は七不思議なのに八つ以上ある」
「誰もいないはずの主力艦隊の待機所に小さな灯りがともりゆらゆらと揺らめく」

 と、探せば出てくる出てくる。

「思ったよりも怖いっぽい……」

 確かにかなりオカルトめいており駆逐艦たちはこの話を聞いて軽く引き気味だ。

「そ、そんな話聞いたら、私、宿直の時の巡回できなくなっちゃいますよ」
「ふん、どうせなにかタネがあるのよ。怯えるだけ無駄よ」

 怯える五月雨に強気の曙。

「おもしれえ、もっと詳しく聞かせろよ」

 と天龍が周りを促したのとほぼ同じタイミングで店の引き戸が開いた。その音に
一瞬ビクッとなる天龍。その様が面白かったのかあたりが笑いに包まれた。

「すっかり遅くなってしまったな。すまんな、みんな」

 長い会議がようやく終わったのだろう、この司令部の提督がそう言いながら戸口から
店に入ってきた。すかさず駆けより提督のコートと帽子を受け取る五月雨。

「ああ、ありがとう。そんなに遅くならずにつけたかい。五月雨」
「はい、途中ちょっと迷っちゃいましたけど」

 五月雨は提督のコートをハンガーに掛けると提督の横に腰を下ろした。

「あのあと、なんで五月雨を先に帰したんだと若い連中がうるさくてな。そしたら
今度はそこの秘書艦たちがそれを聞いておかんむりで、なだめるのが大変だったんだよ。
まあ、自分の秘書艦がもてはやされるのは悪い気分ではないがね」

 提督は鳳翔に冷や酒を頼むとそう言って笑った。五月雨が頭にクエスチョンマークを
浮かべている。

「提督が来たから本番の乾杯をするぞ。寝てるやつを起こしてくれ」

 天龍が周囲に指示を出す……出すのだが、できあがって熟睡モードに入った者たちは
なかなか目を覚まさない。

「起きてる者だけで良いだろう。今年もよく頑張ってくれた。司令部を預かる身として
頭の下がる思いだ。しかし諸君らの奮戦にもかかわらず深海棲艦は次から次へとやって
くる。年が明けてもそれは変わらないだろう。来年も諸君らの活躍を期待している。
よろしく頼むぞ。それじゃ、乾杯!」
「乾杯!」
「かんぱーい」

 今日何度目かの乾杯をし盛り上がる艦娘たち。その姿をうれしそうに見ながら冷や酒を
半分ほど空けた提督が横にいる五月雨に問いかけた。

「俺が店についた時になにか話していたようだったが、なんの話だい?」
「あの、司令部七不思議と言うのがあるそうで、でも七不思議なのにみんなの話を聞くと
七つ以上あるみたいで、とにかくそう言う話をしてました」

 提督が来てホッとしたのか、グラスに口をつけるペースが上がった五月雨がそう答えた。

「司令部七不思議か……」

 提督が考えるような風で視線を斜め上に向ける。

「面白そうだよな。七不思議だぜ」
「そう言うことを言うのは天龍だけですよぉ。怖くて宿直の巡回ができないじゃない
ですか」

 わくわくが止まらないと言った様子の天龍に、五月雨が眉をひそめてそう言う。

「ちなみにその七不思議というのはどういう話なんだい?」

 提督がコップに口をつけつつ天龍に説明を促した。

「えーと、一つ目が……」

 提督の問いに天龍が集まった話を説明し始めた。
 二つ目…… 。三つ目…… 。四つ目…… 。五つ目…… 。六つ目…… 。七つ目……。
八つ目……。

「なるほど。いくつか思い当たる節があるな」

 提督は鳳翔から冷や酒のおかわりをもらうと少し考えながらそう答えた。

「やっぱりなあ。提督も聞いたことがあるって言うなら信憑性高いぜ、この話は」

 天龍がうれしそうな顔をする。

「あ、いや、聞いたことがあるんじゃなくてな。その正体に心当たりがあるんだよ」
「へ?」

 提督の言葉に天龍がキョトンとする。提督に艦娘たちの視線が集まった。

「この話は工廠や装備の妖精たちに聞いたんじゃないか?」

提督がそれぞれの話を持ち出した艦娘たちに問いかける。

「Yes! 工廠の妖精が教えてくれたヨ」
「私もそうね」
「私も……そうです」
「私もです」

 艦娘たちが口々に同意した。どうやら話の出本は全て妖精たちらしい。艦娘は誰一人と
してこの七不思議そのものに遭遇していないのだ。

「提督、心当たりってどういうことなんだ? 例えば、司令部の鬼火の話ってどう説明が
つくんだ?」

 天龍が提督にみんなを代表した形で投げかける。

「鬼火なんだが……、それは真夜中にぼんやりとした光が見えたと言うことだね」
「そう聞いてマース」

 金剛の言葉を聞いて、ふむと合点したように提督が続ける。

「なあ、五月雨。宿直の艦娘が司令部内を巡回するのは何時頃だい」
「そうですねぇ。だいたい深夜ですねえ。真っ暗でかなり怖いんですよぉ」

 五月雨がふわふわと答える。

「その時なにを灯りに持って回るんだい?」
「消灯後ですからぁ、懐中電灯かカンテラを持っていきますねぇ」

 五月雨の言葉に提督がやはりなと呟く。

「え? じゃあ鬼火の正体って」
「そう言うことだろうな。廊下を巡回している宿直のカンテラが外から見えたのだろう。
こわごわしているものだから動きが不規則になって余計そう見えるのだろうなあ」
「じゃ、じゃあ。暗い廊下の向こうから転ぶ音とさめざめと泣く声は」

 提督の種明かしに潮が自分の聞いてきた話をぶつける。

「ああ、君たちが着任するずっと前。まだ五月雨を始めとして数人くらいしかいな
かった頃は夜の巡回を五月雨が担当しててね。ある日巡回に出たままずっと帰って
こないから心配になって見に行ったら……」
「見に行ったら?」

 潮を始め幾人かの艦娘が唾を飲み込む。

「五月雨が廊下で盛大に転んだらしくさめざめと泣いていてな。多分その話じゃないかな」
「え……」
「あー、そういうこともありましたねぇ。なつかしいですねぇ」

 キョトンとする潮。半分くらい空いたコップを持ちにこにこと肯定する五月雨。

「それじゃ、誰もいないはずの司令部の一番奥の部屋からかすかな音と息づかいが
聞こえるって言うのは? あんな奥の部屋、使ってるのはあたしとクソ提督くらい
でしょ?」

 今度は曙が食らいつく。

「うん、だから曙か俺の音なんじゃないか? あそこはトレーニング部屋だから音も
するだろうし息が上がってくれば多少は外にも聞こえるだろう」
「……あ」
「なんだぁ。曙ちゃんがお化けのしょうたいかぁ」

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、である。曙が顔を真っ赤にしている。

「では、突然酒保から全てのお酒が消えることがある、と言うのは?」

 名探偵提督に今度は加賀が挑む。

「ああ、あれはな。建造がうまくいくと酒保から酒という酒を持ち出して工廠で
妖精たちが宴会をするんだよ。自分たちがやってるとわからないように七不思議として
流布したのだろうな」

 しかも全部俺のつけでな、と提督がぼやくように付け足した。司令部黎明期に工廠の
妖精たちを鼓舞するために提督がしたことが定着してしまったらしい。

「そう。では、工廠から聞こえるわめき声というのは……」
「それは俺との賭将棋に負けた工廠長が当たり散らす声だろうな」

 加賀が追加で出した話に苦笑いしながら答える提督。

「他にも、新任艦娘に課せられた耐久マラソン、というのがありますが……」

 吹雪が次の七不思議を持ち出す。

「それは一時期五月雨が着任した艦娘に秘書艦をやってもらおうと追いかけ回していた
からじゃないか? 加賀が着任して秘書艦を引き受けてからはなりを潜めたが」
「そんなこともありましたねぇ」

 提督の推理に相づちを打つ五月雨。五月雨は自分が駆逐艦であることを気にし、
自分よりも上位艦種が着任するごとに秘書艦を引き受けるように迫っていたのだ。
その追いかけっこが妖精たちにはマラソンのように見えたのだろう。そう言えば
そう言うこともあったな、と天龍。全ては黎明期の話である。

「それじゃあさぁ、提督。一航戦と五航戦の仲が良い、って言うのは?」

 重雷装巡洋艦北上のちょっと気の抜けた声に加賀のまなじりがぴくりと上がる。
おーこわ、と肩をすくめる北上。

「それは七不思議と言って良いのかね」

 提督は苦笑いしながらこう続けた。

「確かによその司令部では一航戦の加賀と五航戦の瑞鶴翔鶴の仲があまりよくないとも
聞くが、うちに関してはそんなことはなさそうだな。なあ加賀」
「… …はい。至らないところは多少なり指導していますが、仲が悪いとは思って
いません」

 提督の言葉に同意する加賀。

「そもそも翔鶴を保護してきたのは加賀だからなあ。険悪もなにもないよな」
「それもそうだねえ」

 天龍と北上が笑う。

「夜道で、いやいやと嫌がる声が聞こえたと思ったら、くらーくらーとなにかの儀式の
ような声が続けて聞こえてきた、と言うのは」
「それは俺にもよくわからないな……」

 睦月の言葉に提督があごに手をやる。やはり七不思議は存在するのかとどよめく
艦娘たち。とその時店の奥の方からなにやら聞こえてきた。

「もうオリョクルは嫌なんでち。嫌なんでち」

 潜水艦伊58。通称でっちの声だ。

「でっち、大丈夫? ねえ、大丈夫?」

 そのでっちを介抱しようと以前はU511、通称ゆーと呼ばれていた潜水艦呂500 が声を
かける。

「嫌なんでち。いやー、いやー……すう……」
「大丈夫? あーれすくらー? くらー?」
「……なあ、いやいやって言う声と、くらーくらーって言う儀式めいた声って」
「……どうやらそのようね」

 天龍と加賀が顔を見合わせてうなづいた。なんのことはない。でっちとでっちを
介抱しようとするゆーのやりとりだったわけだ。

「ところで、オリョールへの出撃は58 が酔ってくだを巻くほどやってるのか?」

 提督が心配そうな顔をして周囲に問いかけた。

「あれは58 さんのじしゅれんなんですよぉ。ゆーちゃんきたえるためにかよって
たってききましたー」
「ならいいんだがなあ」

 そう聞いてもなお気がかりな様子の提督であった。

「七不思議なのに八つ目以降がある……だっけ。実際にあったってぇわけだね」

 既に七つを越えた七不思議に涼風が納得したように首を縦に振る。

「他になにか知ってるか? ついでにここで出して見ろよ」

 天龍が調子に乗って周囲に促した。

「主力艦隊部屋にともる小さな灯りと揺らめく人影、と言うのは? 」

 叢雲が思い出したように言う。

「誰もいないはずの主力艦隊の待機所に夜中に小さな灯りがともって、人影が見えるって」
「ほう、それは俺も知らないな」

 提督が置いておいたコップを取ろうとし、空なのに気がついておかわりを頼んだ。

「その真相はこうデース」

 全部知ってますよと言う感じで口を挟む金剛。

「金剛さん、それは」
「加賀は控えめ過ぎマース。キス島攻略の時の話ネ。向こうは北方だから寒いだろうと
加賀が言い出したのヨ。それで、主力艦隊みんなでマフラーとか手袋を編んだのデース。
加賀があまり大っぴらにしたくないって言って、夜中にこっそり小さい灯りで作業した
からその時の話だと思いマース」
「あの手袋とマフラーは、それじゃ主力艦隊の」
「Yeees!」

 金剛の種明かしに驚く天龍。確かにキス島撤退作戦の際に誰ともなくマフラーと手袋が
差し入れられ、お陰で寒さを和らげることができたのだ。

「そうだったんだぁ。加賀さん金剛さんみなさん、ありがとうございましたあ」
「礼には及ばないネ」
「うれしいなあ、うれしいですねえ。ねえ、天龍」

 五月雨が天龍に同意を求める。

「おう、そうだな!……って。五月雨おまえ随分ごきげんだな」
「そんなことないですよぉ」
「そんなことありそうだぞ。ったく。誰か、水をもらってくれ」

 天龍は五月雨に水を押しつけると更に他にはないか周りに促した。

「あの……、私も一つ聞いたことがあるんです」

 おずおずと手を上げるイタリアの戦艦リットリオ。

「お、どんな話だ?」

 天龍がリットリオに先を促す。

「はい。これは私が実際に体験した話なんですが……」

 おお、と艦娘たちが色めき立つ。これまで聞いた話は全て妖精経由だったのだ。
実際に見た者はいない。しかし今度は違う。目撃者が目の前にいるのだ。

「この間敷地の中を歩いていたら、どこからともなくBUONO ボーノと懐かしい故郷の
言葉が聞こえてきたんです。慣れていない感じだったけど、イタリアの言葉をこんな
ところで聞けるなんて! でもどこから聞こえてきたのか誰の声なのか結局わから
なかったんです。もちろんリベッチオの声ではないし、Rome はまだ着任していないし、
一体誰の声なんでしょう。どこからともなく聞こえるイタリアの言葉。これが私の
この司令部の七不思議の一つです」

 リットリオは久しぶりに故郷の言葉が聞けてうれしかったのだろう。にこにこ
 しながら言葉を紡いでいるようだった。

「イタリア語!? この司令部にリットとリベッチ以外でそんなハイカラな言葉を
使うようなのがいたかな」

 天龍が首をかしげる。周囲の艦娘も提督もうーんと唸ってしまった。

「イタリア語か……。工廠の妖精たちが使えたりしないか? ほらリットリオの装備
妖精が教えたとかそう言うのは」
「ちょっと待ってくださいね」

 リットリオの懐から彼女の装備妖精の一人が現れなにやら耳打ちをしている。

「うんうん、ああそうなの」

 リットリオの言葉にうんうんとうなずく妖精。

「残念ながら工廠の妖精たちの前でイタリア語を使ったことはないそうです」
「そうか……」

 折角の仮説がもろくも崩れてしまい提督が唸る。

「ねえねえ。ぼのちゃんいまのみた。いたりあのようせいだよ。かわいいねー。
ねぇ。ねえったら。ぼのちゃん、ぼーのーちゃん、ぼーのちゃんってば」

 イタリア妖精は滅多に見れないせいか、はたまた手にしたコップの中味のせいか、
五月雨のテンションが跳ね上がっている。その五月雨の声を聞いて、あっとなる
リットリオ。

「ああ、もううるさいわね。って言うか人前でその呼び方はするなって言ってるでしょ。
さみ」
「あー、ぼのちゃんがおこったぁ」
「だからその呼び方は!」

 なんだかキレ気味の曙に対して、いつも以上にふわふわと舌足らずになっている五月雨。
さすがにこれはまずいと天龍が気がついた。

「おーい、誰だ! 五月雨にこんなに飲ませたのは」
「えー、のんでなんかないですよぉ。私がのんだのはぁ、お・み・ず。うふふふふ」

 そう言いながら五月雨が手に持ったコップを揺らす。

「俺のコップの中味がいつの間にかなくなっていると思ったら、そう言うことか……」

 どうやら提督の飲んでいたコップの中味をさっきからちびちびとなめていたらしい。

「こうなると手がつけられないんだよなあ。五月雨は」

 天龍の耳のセンサーがぐんにょりとしおれたように垂れ下がる。

「紛らわしいところに置いた俺が悪かったな」
「そんなことないですよぉ。それにぃ、こんなにおいしいおみずをていとくひとりで
のむなんてずるいですよぉ」

 五月雨は提督の腕に抱きつくと良い調子で絡み始めた。と、そこにリットリオが
割って入った。

「あの、五月雨さん。今のはイタリア語?」
「ほえ? ちがいますよぉ。ぼのちゃんをよんだだけですよぉ。ぼーのちゃんって。
うふふふ」
「ああ、そう言うことか。曙のことをぼのと略してしかも伸ばしたもんだからぼーのに
なるんだな」
「イタリア語じゃなかったんですね。空耳だったなんて…… がっかりです」

 謎は解けたがリットリオは勘違いだったことに意気消沈。

「まあ、そんなに落ち込むな。それだけ故郷が恋しかったと言うことだろう。
なんならリットリオとリベッチオでみんなにイタリア語を教えて使ってもらえば
いいんじゃないか?」

 あまりの落ち込みぶりに提督がそうフォローを入れる。

「あ、それいいかもしれないですね。ちょっとずつみんなにイタリア語を覚えてもらい
ましょう。うん」

 リットリオの顔がぱあっと明るくなった。知らないならば教えればいい、確かに
そうだと納得したのだろう。なおこの話のきっかけになった五月雨と曙が後日
リットリオにつかまって半ば無理矢理イタリア語を教授されるのはまた別の話である。

「ひーふーみー… …っと。七不思議どころの騒ぎじゃないな。これで全部か?」

 そう周囲に問いかける天龍の声に、カウンターの向こうで鳳翔がちょこんと手を上げた。

「あの、私もいいかしら」
「おう、もちろんいいぜ」

 天龍が促す。

「空耳つながりと言うのかしら、この間お店の裏の方からソテーソテーって聞こえて
きたの。誰かソテーが好きな人でもいるのかと思ってメニューに加えようかと思うの
だけど、その場合ポークソテーが良いのかしら」
「あ、いや、どうなんだろうなあ……」

 鳳翔のちょっとずれたネタ振りに思わずほほをポリポリとかく天龍。

「お、ポークソテーか。あれはうまいんだよな。しっかりこんがり焼いて醤油で味付け
すると酒が進む」
「ふふふ、提督にかかるとなんでも酒の肴扱いですね。でも、提督がお好きとあらば
メニューに加えないといけないかしら。ポークソテー… …ちょっと色々試してみよう
かしらね。ね、曙ちゃん、また試食お願いしても良いかしら」

 袖をまくる仕草をした鳳翔が曙にそう話しかけるがあいにく曙は取り込み中のようだ。

「だから言ったでしょ、五月雨。あんたは酒癖が悪いんだから気をつけなさいって。
それと人前であの呼び方をするんじゃないって言ったじゃない」
「ううう、ごめんなさいー。でも、なんでひとまえでよんじゃいけないの。
ぼのちゃんってかわいいよびかただよ」
「恥ずかしいって言ってるでしょ。少しは気をつかいなさいよ」
「ぼのちゃんがおこったぁ」
「だーかーらー」
「コホン」

 鳳翔の咳払いに曙がその動きを止める。カレーフェスティバルの時によほど鳳翔に
仕込まれたのだろう。思わず曙の背筋が伸びる。

「ポークソテーを研究するから、試食お願いね」
「はい!」
「ほう、鳳翔さんに随分しごかれたとは聞いたが、あの曙をこうまでするとは……。
さすが鳳翔さん」

 提督が曙の仕草を見てそう笑う。

「う、うるさいわね。クソ提督。それもこれもあんたがあんな話持ってこなければ」
「女の子がそんな言葉遣いはダメだと言ったでしょ?」
「で、でも」
「でももへったくれもありません」
「……はい」

 どうやら曙はカレーフェスティバルの一件以降、鳳翔には頭が上がらないようだ。

「ねえねえぼのちゃん、ポークソテーだって。ポークソテーとくそてーとくってにてるね」
「もう、五月雨!」

 ケラケラと笑う五月雨。こう言う姿も珍しい。

「随分と仲良くなったようだな。まだ五月雨一人しかいなくて、曙が続いて着任して
きた時はどうなるかと思ったが、なるようになるものだなあ」

 提督がなにかを思い出すようにうんうんとうなずいて、手に持った冷や酒をくっと
あおった。

「したり顔でうなづいてるんじゃないわよ。このクソ提督!」
「曙ちゃん」
「はい!」

 かくして曙はこの後ポークソテー開発を手伝うこととなり、ぶつくさ文句を言い
ながらも料理スキルを上げていくのであった。一方、五月雨は……。

「白露型六番艦五月雨、ぼのちゃんのくそてーとくおどりをおどりまーす」
「え!? ちょ、ちょっと待ちなさいよ。五月雨」
「くそてーとく、くそてーとく」

 踊りだした五月雨を止めようとする曙。やれやれと頭を抱える天龍。さあどうやって
連れて帰ろうかと苦笑いする涼風を始めとした水雷戦隊たち。提督は提督で五月雨に
「くそていとく」と言われて多少なりとショックだったのか酒を飲む手が止まって
しまっていた。

 その後、加賀や金剛が寝ていた艦娘たちを起こし自分たちの部屋へ帰るように促して宴
が幕を閉じたのは日も変わろうかという頃だった。

「結局、七不思議なんてもんはなかったんだなあ」

 言い出しっぺの天龍が店を出る際に小さく呟いた。

「まあねえ。そんなもんだよねえ」

 そう答える北上。二人の声をかき消すように北風が吹き抜けていった。

 後日、五月雨には当分の間の禁酒が言い渡され、提督は提督であれだけ五月雨が
はっちゃけたのは知らずのうちに彼女が秘書艦の職務でストレスをため込んでいたの
ではないかと深く深く反省したという。


「そう言えば最近聞いた話があってな」

 更に後日のこと。夜半に「鳳翔」を訪れた提督が冷や酒を傾けながら鳳翔に
話しかけた。

「あら、なんですか?」

 鳳翔がつまみを作りながらそう返す。

「いや、七不思議と言うほどでもないんだが。この店の灯りが夜中もともっていて
中からなにやら音がすると言う噂があるんだよ」
「ふふふ、そうなんですか」
「ああ、包丁でも研いでるんじゃないかと言っておいたが、実際のところはどう
なんだろうと思ってね」

 鳳翔は提督の前にとりあえずのつまみを出すと、刺身包丁を手にマグロの柵を
切り始めた。

「ちょうどよいものが手に入ったので、折角だから提督にも、と思って少し取って
おいたんです」

 すっ、すっ、と流れるように包丁を入れていく鳳翔。

「見事なもんだな」
「ありがとうございます。包丁の切れ味が大事なんですよ」

 提督のほめ言葉に鳳翔がはにかんだ。

「装備の手入れは抜かりなく、か」
「ええ、そういうことです」

 そう言うと鳳翔はふふっと含み笑いをする。

「じゃあ、俺の推測もそう悪くなかったと言うことかな」
「さあ、どうでしょう?」

 鳳翔は刺身のつまを盛りつけそこに切り身をのせると提督の前に置いた。

「ん? 違うのかい?」
「内緒です」
「なんだ、つれない返事だな」

 肩すかしを食らった提督がコップの冷や酒を喉に流し込んだ。

「だって」
「ん?」
「だって、この司令部にもわからない不思議が一つくらいあったほうが楽しいじゃ
ないですか」

 鳳翔は提督にこう返すと微笑んでいたずらっ子のように小さく舌を出した。

Fin


あとがきのようなもの。
 拙作をご覧いただきありがとうございました。金谷さんの本で続けさせてもらって
いる「とある司令部シリーズ」です。今回も食事処「鳳翔」を舞台に、とある司令部の
過去話をご存じの方ならクスッと笑えそうな、初めての方には読んで多少なり楽しい
気持ちになれるような話を目指してみました。いかがでしたでしょうか。
なおラストシーンの鳳翔さんの仕草については餅は餅屋にと言うことで金谷さんに
アドバイスをいただきました。感謝。


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