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『サラリーマン藤田浩之異聞 サラリーマン矢島 九曜』   第1話




註:本作品は、ヤジマルチという一連のシリーズをベースに作られております。
  ヤジマルチをご存じでない方は、
  
  http://www.urban.ne.jp/home/aiaus/miyautibanasRi01-14-1.htm

  http://www.urban.ne.jp/home/aiaus/miyautibanasi01-40-1.htm
  
  をお読みになってから、本作品をお読みいただければ、より深く作品を楽しめると存じます。
  よろしくお願いします。





















:YAZIMA EYE
 夜の湾岸を沿って続く、曲がりくねった三車線の道路。
 その道を、流線型をした緑色のスポーツカーが猛スピードで走っている。
「デ〜ンワひとつで呼ばれたからにゃ〜♪」
 四速から五速へ。限りなく続くカーブに関係なく、運転手は平然とギアを上に上げていく。
「それが私の、ご主人様〜よ〜♪」
 猛回転で道路を蹴る、緑色の毛皮の野獣。
 夜道を照らすヘッドライトが、爛々と輝いている。
「くっ、くっ、車の、営業マンっ♪」
 ヒュンっ!
 斜めにスライドしながら跳躍するようにカーブをすり抜けた。
「車とばして〜、とんでくる〜♪」
 トップギアを維持したまま、直線で再び猛ダッシュを続ける四輪。
「くっ、くっ、車の、営業マン♪」
 一歩間違えば、命を失いかねないほどのスピードの中で。
「ハハハァン・ハ とんでくる〜♪」
 運転手の歌っている歌は、とても呑気だった。

 キキっ!
 派手なホイールの音を立てて、緑色の車はマンションの地下駐車場に止まった。
 中から出てきたのは、高額なスポーツカーには似つかわしくない、若いサラリーマン風の男性。
 いや、サラリーマンというには、若干、特異な風貌をしていた。
 髪の毛が、天を衝かんばかりに垂直に、空に向かって立っているのである。
 その、およそサラリーマンには似つかわしくない髪型を除けば、その背は高く、筋肉はしなやかそうで、グレーのスーツ姿がとても似合っていた。
「本日、6台目販売完了っと。不況、不況といっても、あるところには金があるもんだね」
 手元の端末のキーボードを叩きながら、男は画面に並ぶ数字を見た。
「悪くない。こりゃ、今月の給料も期待できそうだな」
 よく見れば、男が着ているスーツは布地も仕立ても一流のもので、着けている時計も決して安物では
ない。運転していたスポーツカーの値段から考えても、男がかなりの稼ぎをすることがわかる。
 機嫌良さそうに、自分の部屋を目指して階段を歩いていく男。
 その様子を、どこかから監視する者がいた。

(職業、高級車ディーラーの営業マン。成績は優秀で、周囲の評価も良好……収入は多いかも知れない。
でも、ТУРИТАНИ博士の言うように、私のマスターに相応しい人物なのだろうか)


:SERIO EYE
 髪は、オレンジの要素が濃い、くすんだライトブラウンのロングヘアー。
 細く長く伸びた白い手足と豊かにふくらんだ胸、くびれた腰。
 黄金律を守った、理想的なラインで完成された体型。
 その細く長く伸びた手足を覆う、純白のボディスーツ。
 
 透明のキャノピー型天蓋で覆われたカプセルの中で眠る、一人の女性。
 いや、女性として造られた者。
 「彼女」は、新しい出会いを待つ間、自分の過去を回想していた。
 
 
 ИРКУТСК。
 イルクーツクと発音する。
 「彼女」が造られたのは、そんな名前のとても寒い国の街だった。
 創造主であるТУРИТАНИ博士が、よく髭を凍らせながら家の中に入ってきたことを、
彼女のメモリーは記憶している。
 小さな家だったと思う。
 他の家と比較してみれば、間取りは広かったが、住んでいるのはТУРИТАНИ博士と
「彼女」と、数人の姉妹だけ。たまに、博士の妻と子供が遊びに来てくれて、そのときは、
彼がとても喜んでいたことを覚えている。
 メイドロボット。
 「彼女」は、そういう存在になるために造られた。
 メイドとは、女の召使いという意味。
 ロボットとは、人工の自動人形という意味。
 人間の召使いになるために造られた自動人形。
 しかし、「彼女」は、その二つの単語に別の意味があることを知っていた。
 メイドは、アルファベットでは、MAIDと記述する。
 MAIDの語源はMAIDENであり、乙女、処女という意味がある。
 ロボットは、アルファベットでは、ROBOと記述する。
 ROBOとは、チェコ語で働く者という意味がある。
 働き者の乙女。
 「彼女」は、自分がそういう存在でありたいと願っていた。
 何年か続いた、博士の家での生活。
 「彼女」は、そこでメイドとして、娘として、暮らしていた。
 少なくとも、博士も彼の妻と子供も、そして近所に暮らす気の良い人たちも、「彼女」のことを
働き者だと評価してくれていた。
 自分のマスターとして、今から出会う男。
 マスターは、「彼女」のことを働き者だと褒めてくれるだろうか。
 新しい出会いの期待と、一抹の不安を抱きながら、「彼女」はカプセルの中で眠り続けていた。


:YAZIMA EYE
「ただいまー、っと」
 マンションの一室、自分の部屋の扉の前に立つと、男はドアノブの上にある丸い窪みに指を当てた。
 ガチャ。
 男の指紋を認証した扉は、部屋の持ち主が帰ってきたことを確認すると、自動で鍵を解除する。
 扉の横には、「矢島」と表札がかかっていた。
 男の名前は、矢島という。
「今日も売れてよかったね、っと。さて、飯の支度でもするか」
 独り言を言いながら、必要以上に設備の整った台所に向かおうとしたところで、矢島の足が止まった。
「……なんだ、こりゃ?」
 部屋の中央に置かれた、妙に大きな機械。
 それは人が入れるほどの大きさのカプセルだった。
 透明なキャノピー型の天蓋で覆われたカプセル。
 矢島は近寄って、しげしげとカプセルの中身を眺めた。
 
 
:SERIO EYE
 認識。
 人間の認識は五感、すなわち視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚の五つの感性から構成される。
 しかし、ロボット、人工の自動人形として造られた「彼女」は、六つ目の感性を備えていた。
 両耳があるべき場所から伸びる白いアンテナ。
 それは、耳として「彼女」に聴覚を与えるだけではなく、人間が感覚できない様々な物質の波長を
「彼女」に感覚させることを可能にしている。
 そのアンテナで、「彼女」は自分のマスターとなるべき男を「見ていた」。
 男が駐車場に停めた車から降りる音。
 エレベーターを使わず、わざわざ階段を上ってくる音。
 すべて、「彼女」は認識していた。
 その中で、たびたびつぶやかれていた独り言。
 男が、自分の仕事の成果を気にかけ、その結果に誇りを抱いている。
 それは、「彼女」にとって、好感が持てる性質だった。
 働き者であること。
 それは「彼女」が自分自身に求め、そして他者にもそうあって欲しいと願うものである。
 この若い男が、自分を働き者だと思い、その働きの結果を喜んでくれること。
 それは、嬉しいことかもしれない。
 「彼女」は目を閉じたまま、男がキャノピー型天蓋を開ける時を待っていた。

:YAZIMA-EYE
「HM−13RR? なんだ、こりゃロシア語か? なんとかスペシャル? うーん……」
 カプセルの中に横たわっていたのは、見たこともないメイドロボットだった。
 メイドロボットとは、家庭用のお手伝いさんロボットのこと。
 最初に出た頃は、ただの箱のような形で、本当にロボットという存在だったが、
来須川エレクトロニクスという会社がHMシリーズと呼ばれる人間型のメイドロボットを発売して
からは、いかに人間そっくりに近づけるかが各メーカーの主流になっている。
「なんで、こんなもんが俺の家に届くんだ?」
 こんなもん、と矢島が言ったところで、カプセルの中に横たわるメイドロボットの細い眉が
ぴくりと動いたのだが、矢島はそのことには気づかなかった。
 そして、脱いだばかりの背広の内ポケットに手を入れると、携帯電話を取り出した。
 PULLLLL、PULLLLL……。
「……あっ、もしもし。夜分、遅くすいません」
 カプセルをのぞきこみながら、矢島がどこかに電話をしている。
 その中のメイドロボットが工場出荷直後の稼働前状態にあると思っているのか、矢島の表情は
どこか物を見るような、冷たい目つきだった。
「頼んでないものが家に送られてきましたので、返品の手続きを……」
「トアリャぁああっ!」
 バキっ!
 矢島が最後まで言い終わる前に、カプセルの上を覆うキャノピー型天蓋は、中にいたメイドロボット
の前蹴りで吹き飛ばされていた。

:SERIO-EYE
 プシュー。
 各ソケット口を封印していたシールが自動的に外され、「彼女」は、この国に来て、最初の「呼吸」
を行った。外気が体の隅々まで行き渡るのを感じ取ると、「彼女」はマスターである男に対して、
優雅に一礼をする。
「この度は、HM−13RR、セリオ後期型ТУРИТАНИスペシャルをお買い上げ頂き、
まことにありがとうございます。さっそく、マスターである貴方のデータの登録を……」
 何度も練習してきた、挨拶の言葉。
 それを一息で言い終わろうとしたところで、「彼女」、すなわち、メイドロボットのセリオの
言葉が止まる。
 目の前にいるのは、砕けた携帯電話を手にして、鼻から血をボタボタと流している男。
「どうされたのですか? 出血されているようですか」
「……そりゃ、こっちのセリフだ」
 男の心拍数の上昇が認められる。なにか異常があったらしい。
 確か、近所に住んでいた若い男性の中にも、自分の姿を見て、心拍数を上昇させる者がいた。
 それは人間として普通の反応だとТУРИТАНИ博士に教えられていたので、セリオは別に
あわてなかった。
「承知いたしました。それでは、さっそくマスターである貴方のデータの登録を行ってください」
「馬鹿言うな。俺は、おまえなんか頼んでないぞ」
「えっ?」
 セリオは、センサーの不調かと思って、アンテナを触ってみた。
 異常は検出されていない。
 セリオの前蹴りで吹き飛ばされたのは、カプセルの天蓋だけではない。
 カプセルを上から覗き込みながら電話をしていた矢島の携帯電話と彼の顔、それも天蓋ごと
吹き飛ばしている。
 天蓋でしたたかに鼻を打った男は、顔をしかめながら、目の前にいるメイドロボット、セリオに
説明を始めた。
「俺は、おまえを注文していない。だから、送りつけやがった奴のところに、おまえを返す。
ほら、わかったら、カプセルの中に戻れ」
「駄目です。一度、梱包を解いたら、つまり、カプセルから出してしまったら、返品は不可です」
「はあ? おまえが自分で開けたんだろ?」
「私は工場出荷直後の稼働前状態でした。ですから、自律的に活動することは不可能です。
故に、法律上は返品不可能です」
 表情を変えずに、理屈を述べるセリオ。その言葉に、鼻血は止まったが、男の顔はだんだん
赤くなっていく。
「馬鹿言うな。注文していないものが届いたら、返品するのが筋だろう」
「それは、送品された私が関知するところのものではありません」
「こっ、こんにゃろー……」
 男の顔はまだ、赤いままだ。
 それがセリオの近所に住んでいた若い男の子たちが顔を赤らめていたことと違うものに起因する
ことを、彼女は理解していた。
 理不尽なことに対する怒り。
 男は、明らかに、そういった感情に捕らわれている。
 だが、怒っているのは、セリオも一緒だった。
 住み慣れた街を離れ、大事な博士や姉妹を後にして、この遠い国までやって来たのだ。
 それはつらい別れで、セリオには重大な決心を必要とさせた。
 それを、男は「注文していない」という「些細」な理由で、無価値なものにしようとしている。
 セリオは、自分の意志で嘘をついていた。
 矢島が電話で返品を告げ終わる前に、天蓋を蹴り飛ばして妨害したのも、わざとである。
 彼女がカプセルの中にいた時に、工場出荷直後の稼働前状態にあったかどうかは、彼女の頭の
中を調べれば、すぐにわかってしまうことだ。
 だが、男はそのことに気づくだろうか。
 気づかなければ、自分は働くことによって、この男に自分の価値を認めさせることが出来る。
 大きな不安をかかえながら、セリオは、目の前の男の言葉を待っていた。
 
:YAZIMA-EYE
 手の凝ったことをしやがる。
 矢島は、頑固に自分が彼の所有物になったことを主張するメイドロボットの言葉に、そんな感想を
抱いていた。
 頼んでいないものが、家に送り届けられる。
 これは、一度や二度あったことではない。
 年齢の割に高所得である矢島の収入を当てにして、そういう商法を挑んでくる業者は何人も
いた。先輩から教えられて、身の守り方を知っていた矢島は、その度に、そういったものは全て
送り返していた。
 しかし、押しかけメイドロボットというのは未経験だった。
 人間に近い思考を持っているとはいえ、ロボットはロボットである。
 頭の中に残るログを調べれば、セリオを返品することは可能のはずだ。
 そして、矢島はいつも、そのようにしていたはずだった。
 だが、自分の言葉を待っている彼女の目を見て、矢島の決意が揺れる。
 不安そうな、心細いような視線。
 返品されることを恐れていることが、ありありとわかった。
 送り返された彼女は、どうなるのだろうか。
 また、別の人間のところに送りつけられて、そこでメイドロボットとして暮らすのだろうか。
 それなら、それで構わない。
 矢島は、メイドロボットを嫌っていた。
 昔、まだ少年と呼ばれておかしくなかった頃あった、思い出したくない記憶。
 メイドロボットは、そこにいるだけで、矢島にその記憶を思い起こさせる。
 だが、その先に待つのが、返品ではなく、彼女自身の廃棄であったなら。
 彼女を「殺した」のは、自分ということにならないだろうか。
 たっぷり五分ほど悩んだ後、矢島は口を開いた。
「わかったよ。ったく、手の凝ったことをしやがる。俺の名前は矢島。これで、いいんだろ?」

:SERIO-EYE
 認めてもらえた。
 男を騙したことに、セリオは少し罪悪感を感じていたが、ТУРИТАНИ博士や姉妹たちの
悲しむ顔を見るよりもずっといいことをしたと考えて、気を取り直した。
「矢島……」
 噛みしめるようにして、セリオは新しくマスターとして登録された男の名前をつぶやく。
 たっぷり五分ほど堪能した後、セリオは重大な問題に気づいた。
「あの、下の名前は?」
「ない」
 男にそう言われて、セリオは困ってしまった。
「矢島ない、という名前なのですか?」
「違う」
「ヤ・ジマとか?」
「そんな読み方はしねえ。というか、俺は日本人だ」
 カプセルの上に立つセリオと、矢島の間に、気まずい雰囲気が漂う。
「……わかりました。それでは、矢島で名前の御登録を行わせてもらいます」
「事務的に応対すんなーっ!」
「そんなこと、私に言われたってーっ!」
 夜中のマンションの一室。
 かくして、セリオと矢島は出会ったのである。
 
(第2話に続く)