アマガミ 響先輩SS 「まちあわせ」



 「はっ、はっ、はっ、はっ」


 塚原ひびきは走っていた。
 坂道を、わき目も振らず、
 ただ、駆け上がっていた。


 話は前日にさかのぼる。


 「橘君、おまたせ」

 「あ、ひびき先輩」

 「ごめんね。寒かったでしょう?」

 「はは、もう慣れました」

 「でも、毎回毎回寒い思いをさせて……ごめんね」

 「いいですって」

 「なにかいい方法は……。あ、そうだ。ね、待ち合わせの場所を校舎の中にしてみない?
 それなら寒さも和らぐでしょ」

 「あ、そうですね。昇降口あたりにすれば風もこないし、いいかもしれません」

 「図書室はどうかな? 暖房も入っているし」

 「本があれば暇もつぶせるし、いいですね」

 「うん、それじゃ明日から図書室で待っていて」

 「はい」


 そして次の日。
 授業も終わり、部活へ家へバイトへとクラスメートが散っていく中、橘さんは荷物を
持って図書室へ動こうとしていた。
 いつもならば水泳部の活動が終わりひびきが出てくるまで、校内をぶらついたり、
水泳部をのぞき見したり、例の部屋でお宝本を見て時間をつぶすのだが、今日は図書室
で本を読みつつ惰眠をむさぼるつもりのようだった。
 寝こけてしまってもひびきが起こしてくれる……そんな目論みもあるようだ。


 「よ、大将。ちょっといいか」

 「どうしたんだ、梅原」

 「例のグラビアアイドルの写真集が手に入ったんだよ」

 「な、なに! あの清純そうな顔をして”私、実はすごいんです”バディのあの子の
 あられもない新作写真集が?」

 「そうともよ。苦労したぜ、近所の本屋はどこに行っても売切れだったからな。
 見たいか?」

 「そ、そりゃあもちろん」

 「おっと。でもなあ、おまえは彼女がいるからこんな本にはもう興味はないか」

 「そ、そんなことはないぞ。それはそれ、これはこれだ」

 「しょうがないな、そうまで言うなら見せてやろうじゃないか」

 「おー、さすが梅原、話がわかる」

 「じゃあ、人目のつかないところで……」


 こうして当初の予定はどこへやら、橘さんは梅原と一緒にどこぞへ消え、しばらく
教室に戻ってこなかった。


 「(いやー、すごかった。ひびき先輩もスタイルいいけど、それに勝るとも劣らぬ
 ボンッ!キュッ!ボンッ!なスタイル。しかもとびっきりの美少女がいつはみ出ても
 おかしくないようなマイクロビキニなんだから、ものすごい破壊力だ)」

 「(……ひびき先輩も拝み倒せばああ言うのを着てくれるかな。あ、でも相当嫌がる
 だろうな。こう、下から見上げるような、子犬のような頼み方をすれば、あるいは……。
 いやいや、僕は一体何を考えているんだ)」

 「(で、でも、ちょっと見てみたい気がするな……)よし、がんばろう」

 「なにをがんばるの?」

 「え?」

 「橘君って相変わらず面白いね」

 「も、森島先輩。ぼ、僕、そんなに面白いことしてましたか?」

 「うん! なにやらブツブツ言いながら廊下を歩いていると思ったら、いきなり顔を
 挙げて”がんばろう”だもの、何を考えていたのか気になるわ」

 「え、あ、その……」

 「やっぱりひびきのこと?」

 「あ、いや、そうなんですけど、そうじゃなくって、その」

 「橘君がひびきのことでがんばろう、か……。うーん、なんだろうな。あ、ひびきが
 なかなかいちゃついてくれないから、どうすればいいか考えていた、とか」

 「そう言うわけじゃ……」

 「あれ、違うの? それじゃ、そろそろバレンタインデーだから、どうしたらひびき
 からエクセレントなチョコがもらえるかを考えていた……とか」

 「あ、そう言えばちょっとしたらバレンタインデーですね。忘れてました」

 「もう、そんな大事なイベントを忘れちゃうなんて、だめな子だな」

 「すみません……」

 「むむむ、それなら、ひびきが部活で帰る時間まで暇だから、どうやってつぶそうか
 考えていた」

 「あ、それは結構あたりです」

 「そっか、橘君暇なのね。それならちょっとつき合って」

 「は、はい。いいですけど……」

 「よーし、それじゃあ、レッツゴー!」


 こうしてトラップされた橘さんは、はるかの思いつくままに校内を練り歩かされた。
 水泳部を覗き、テラスへ行ったり、屋上へ行ってみたり……。
 それこそ、思いつくままに。


 一方そのころ……


 「お疲れ様でした。お先に失礼します!」

 「お疲れ」

 「失礼しますー」


 練習を終えた水泳部。
 ミーティングも済み、部員たちはそれぞれ帰宅の途についていた。


 「あの、ひびき先輩。フォームのことで相談があるんですけど……」

 「うん、いいよ」

 「塚原先輩、私も次お願いします」

 「うん、ちょっと待っててね」


 今日も今日とて後輩たちの相談の相手をするひびき。


 「クスッ、この様子だとまだしばらく帰れなさそうですね。橘先輩、待ちくたびれて
 凍えちゃうんじゃないですか?」


 そんなひびきを見て、笑う七咲。


 「ん? ああ、今日は大丈夫。待ち合わせ場所を変えたから」

 「え、そうなんですか?」

 「うん、正門だと寒いから、図書室で待っててもらうことにしたんだ」

 「なるほど。あそこなら寒くないし暇もつぶせますね」

 「うん」

 「あ、じゃあ私、図書室に行ってきますね。まだしばらくかかりそうですって、
 伝えてきます」

 「ありがとう」

 「いえ。それじゃ行ってきます」


 橘さんに会いに行くとあって、七咲の足取りは軽く、誰も見ていなければスキップの
一つもしそうな勢いで、図書室へと向かった。
 そんな七咲の目に飛び込んできたのは……


 「今度はこっちよ! ゴーゴー!!」

 「森島先輩、次はどこへ行くんですか?」

 「あっち」

 「あっちって、なにをしに?」

 「なんとなく……かな。あ、最後はゲームセンターでダッ君ゲット大作戦だから」

 「え、ゲームセンターまで行くんですか?」

 「もちろんっ……」


 橘さんを従えたはるかの姿。
 はぁ、と軽くため息をついた七咲は、くるん、と踵を返すともと来た道を戻って
いくのだった。


 「……戻りました」

 「あ、七咲、ありがとう」

 「いえ。橘先輩なら、森島先輩に連れられて、正門に向かって歩いていきましたよ」

 「え、はるかに?」

 「はい。聞こえてきた森島先輩の話だと、これからゲームセンターみたいです」

 「はあ……、はるかにも困ったものね。それじゃ彼ははるかに引きずられて……」

 「ええ、今ごろゲームセンターに向かっているんじゃないでしょうか」

 「そっか……」

 「ひびき先輩。それならゲームセンターに直接行っちゃえばいいんじゃないですか?」

 「そうそう、私達これから新作クレープを食べに行くので、一緒に行きましょうよ」

 「そ、そうだね……でも……」

 「ふふ、塚原先輩。たまには私達と一緒に途中まで帰りませんか?」

 「そうね……うん、それじゃ商店街まで一緒にいこうか」


 半ば後輩たちに押し切られる形で商店街に向かうことにしたひびき。
 うれしそうな後輩たちを見て、たまにはいいかな、と思うのだった。



 そのころ橘さんは……


 「(はあ、ようやく解放された……)」

 「(危うく、ゲームセンターまで連れて行かれるところだった)」

 「(美也、ちょうどいいところに居てくれてありがとう。お陰で助かった)」

 「(後でアイスかなにか買ってやるからな)」

 「(まあ、とにかく時間はつぶせたし、まあいいか)」

 「(そうそう、なにごとも前向きに考えないとね)」

 「(ところで今、何時なんだろう……)げげっ!?」


 ようやくはるかから解放された橘さんは、腕時計を見ると一目散に図書室へ
走っていった。


 「(はあ、はあ、はあ。まさかこんな時間になっているなんて)」

 「(えーっと、ひびき先輩は…… あ、あれ? いない。
 まだ部活が終わってないのかな)」

 「(うーん、図書室をぐるっと見てみたけどいないぞ)」

 「(多分、まだ相談に乗っているんだろうな。それじゃ適当な本でも読みながら
 待つか……)」

 「(……ふむふむ、なるほど。紳士たるものこう言う立ち振る舞いが必要なんだな)」

 「(淑女(レディ)から尊敬を集めるような態度……か。うんうん、僕は大丈夫だな)」

 「(……ふわぁぁ、図書室は暖かくていいな。正門じゃこうはいかないもんな)」

 「(ひびき先輩の言うとおり、待ち合わせ場所を変えてよかったな)」

 「(それにしても、眠いな……。ん、ちょ、ちょっとだけ。先輩が来るまで、
 ちょっとだけ……)」


 日ごろの夜更かしの賜物か、はたまたなにか別の疲れなのか、橘さんは暖房の効いた
図書室で睡魔に襲われ、そのまま寝てしまった。



 「ひびき先輩、それじゃ失礼しまーす」

 「さよならー」

 「うん、それじゃあね」

 「お疲れ様です」


 ゲームセンター近くまでやってきたひびきと七咲は、他の水泳部員と別れると
橘さんの姿を探してゲームセンターに入っていった。
 相変わらず騒々しい店内。
 様々なゲーム機の電子音が入り交じる中、ひびきははるかのいそうな場所を探して
歩いた。


 「わお、美也ちゃんすごいわ!」

 「そ、そんなことないですよ」

 「謙遜しなくていいわ。この腕前は兄譲りね」

 「あれ? はるかに美也ちゃん……」

 「あ、塚原先輩。逢ちゃんも」

 「あ、あの、橘先輩は一緒じゃないんですか?」


 クレーンゲームに興じていたのははるかと美也の2人だけ。
 橘さんの姿はそこにはなかった。


 「あの子なら”ひびきと待ち合わせているから”って途中で別れたけど……。
 あれ? 一緒じゃないの?」

 「ええ、森島先輩と一緒に正門の方へ歩いて行くのを見かけたので、てっきり
 森島先輩と一緒にいるものだと……」

 「ううん、お兄ちゃんなら校舎の方へ戻って行ったよ」

 「じゃ、じゃあ、彼はまだ学校に……」


 はるかと美也の言葉におどろくひびきと七咲。


 「塚原先輩、すみません。私、勘違いしていたみたいです」

 「ううん、七咲は悪くないわ。悪いのは、ちゃんと待ち合わせ場所を見てこなかった
 私だから」


 うなだれる七咲の肩を、首を振りながらポンポンとたたくひびき。


 「(そう、学校を出るときにちょっと図書室をのぞけば済んだこと。そうすれば、
 七咲の勘違いに気付くこともできた。彼を待ちぼうけさせることもなかった。
 それなのに、私は……)」

 「(彼はまだ図書室で私を待ってくれているのかな。それとも待ちくたびれて
 もう学校を出てしまったかな)」

 「(どちらにしても、学校に戻らないと。早く戻らないと……)」

 「私、学校に戻るから」

 「あ、塚原先輩」


 ひびきは鞄の柄をぎゅっと握りしめると、そう言ってゲームセンターを後にした。



 寒風吹きすさぶ正門の前。
 橘さんは図書室から出され、そこに立っていた。


 「(う、さ、寒いな……)」

 「(図書室が閉まる時間まで僕は寝ていたのか)」

 「(図書室で待ち合わせができないとなると、考えつくのは正門だよな)」

 「(いつもここでひびき先輩を待っているから、慣れっこのはずなんだけど……)」

 「(はは、図書室が暖かかったから、余計に外が寒く感じるな)」

 「それにしても、ひびき先輩、遅いな……」

 「(いつもに増して、今日は出てくるのが遅い気がする)」

 「(どうしたんだろう。でも、水泳部の他の部員も見かけないし、まだミーティング
 しているのかな)」

 「(うん、もうちょっと待ってみよう)」


 「(……まいったな、日が暮れちゃったぞ。一体どうしたんだろう)」

 「(実は寝ている間に帰っちゃったとか、いや先輩に限ってそんなことは……)」

 「(あ、もしかして、なにか家の用事とか急用が入って帰った、なんて……
 でも、もしそうなら七咲なり他の誰かに伝言を頼むだろうし)」

 「(いや、ひびき先輩は絶対にくる。今までの帰りだってそうだったじゃないか。
 僕が信じないでどうするんだ)」

 「(逆に、僕がもう来ないだろうとあきらめて帰ってしまったら、約束したのにいな
 かったら、どうなる? きっとひびき先輩は悲しい思いをするだろう。どうしてって
 思って不安になるだろう)」

 「もう先輩を不安にさせるようなことはしないんだ」


 空に光る一番星。
 宵の明星を見ながら、橘さんはつぶやいた。



 「はっ、はっ、はっ、はっ」


 塚原ひびきは走っていた。
 坂道を、学校に向かって、わき目も振らず、
 ただ駆け上がっていた。

 一息に駆け上がったその先に見えてきた学校の正門。
 もうすっかり暗くなったその場所に立っている人影に向かって、ひびきは一直線に
走って行った。


 「橘君!」

 「あ、ひびき先輩! あれ、なんでそっちから?」

 「はぁ、はぁ、はぁ」


 橘さんの前で、膝に手をつき息を整える彼女の目には涙が浮かんでいた。


 「いったいどうしたんですか。まるで駅から全力疾走したみたいじゃ……わっ」

 「ごめんね。 ごめんね、ごめんね、ごめんね」


 ひびきは驚いた顔の橘さんにぎゅっと抱きつくと、何度も何度もごめんねを繰り返した。


 「ちょ、ちょっと、どうしたんですか。来ていきなり謝ったりして」

 「私が……私が自分で確認しなかったから、私が思い込みで動いたから、だから君を
 こんなに待たせて……。私が君のことをちゃんとわかってたら……こんな風には……」

 「……ひびき先輩、僕は泣いて謝られるようなことされてないですよ」

 「でも、でも」

 「理由はよくわからないけど、先輩が来たから問題なしです」

 「橘君……」

 「泣かないで下さい。どうしたらいいか困っちゃいますよ」

 「うん」

 「さ、遅くなっちゃったし、帰りましょう。なにがあったかは帰り道で聞かせて
 ください」

 「うん」


 駅へと歩く2人。
 ひびきにとっては今日2度目の帰り道。
 道すがら、ひびきは橘さんにことの顛末を話した。


 「……そう言うことだったんですか」

 「うん、私が、君はきっとはるかに連れられて学校を出ちゃっただろうって
 思い込みをして、みんなと一緒にゲームセンターに行ったから、こんな時間まで
 君を待たせることになった……。自分で図書室を見に行けば済んだのに」

 「……図書室に確認に来ていたとしても、僕はその時居なかったかもしれませんよ」

 「え?」

 「図書室に確認に来たひびき先輩と、森島先輩と別れて急いで図書室に行った僕が
 うまく会えたかどうかはわからないってことです」

 「そ、それはそうだけど……」

 「だからそんなに自分を責めないで。結局いつもと同じ場所になったけど、
 待ち合わせに失敗したわけじゃないんだから」

 「うん……」

 「それに、僕が森島先輩に付き合ってあちこちうろついてたから、七咲がそれを見て
 誤解したわけだし、悪いのはむしろ僕のほうなんじゃないかなって」

 「そ、そんなこと……」

 「ひびきは早とちりをした。僕は誤解されるようなことをした。二つ重なったから
 こうなった。誰かが全部悪いわけじゃない。それでいいじゃないですか」

 「うん……」


 うなだれるひびきを見て橘さんは心の中でこう付け加えた。


 「(そもそも、僕が梅原の写真集につられていなければ、あの後森島先輩に
 付き合うこともなかったんだから……)」

 「(ひびきが悪いんじゃない。悪いのは僕なんだ)」

 「(でも、お宝本が事の発端だなんて言えないし……どうしたらフォロー
 できるんだろう)」


 橘さんは橘さんで罪悪感にさいなまれているようだ。


 「……ね。なんで帰らなかったの?」

 「え?」

 「すれ違いや勘違いで、私が先に帰ったかも知れないのに、なんでこんな時間まで」

 「ああ、それなら。ひびきは絶対に来るって信じてたから。今日だってちゃんと
 来てくれたじゃないですか」

 「ふふ、私のことをかいかぶりすぎだよ」

 「そうかな」

 「うん」

 「でも、ひびきから感じる安心感って言うか、暖かさは、かいかぶりじゃないと思うよ」

 「橘君……」


 橘さんの腕に自分の腕を絡め、ギュッと抱きつくひびき。
 ひびきはその腕を、駅につくまでずっと放そうとしなかった。



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