Chapter 03
◆Masion D'Agry  

今回Parisにてどうしても立ち寄りたかったのが、以前日記でもご紹介した Maison D'Agry という彫金の店です。昔からここの店で紋章入りのインタリオリングを作りたいと思っていましたが、やはり18金で作るとなると非常に高価でしたので、いつか絶対・・・という思いでした。日記では純銀のブレザーボタンにイニシャルを彫ってもらいましたが、今回はこの店の看板商品であるインタリオ指輪を注文しに参りました。

Maison D'Agry はコンコルド広場から Rue de Rivoli を歩いてヴァンドーム広場の方へ Rue de Castiglione を行った途中にあります。素敵なアーケード状の歩道に面したこの老舗は同じ場所で1825年から商売をしているとのことです。ヨーロッパの宝石商は安全のためにドアにロックがかけられているのですが、呼び鈴を押して中に入ると、シャルル10世様式の緑色のインテリアが広がります。シャルル10世の御世に商売を始めたことを思い出すためにこの内装にしているのだそうですが、小さなデスクの脇にはガラスキャビネットがあり、円筒形の金属に緻密な紋章を掘り込んだ型が並んでいました。大きさなどから推測するに、紋章入りレターペーパーを印刷するのに使う型だと思いました。この店は紋章やイニシャルについて何でも製作する店で、レターセット、招待状、インタリオ指輪、蔵書票など全て請け負っているそうです。

                    Maison D'Agry 店内

店主のギャヴィネット・アグリ氏は私がメールのやり取りでボタンを注文したことを覚えてくださっていて、裏のキャビネットから封筒を持ってくると私の住所から、以前作ったボタンのデザイン画まで全て保管してあり、このことは大変感激でした。銀ボタンという正直たいしたことない注文でもきちんと顧客管理されているというのは、さすが老舗の宝石商だと思いました。早速私は来意を伝え、当家の家紋である三つ違い鷹の羽のデザイン画を見せましたところ、彫刻する面が円形の方が収まりがいいとおっしゃり、私も同感でしたので、そのデザインを選びました。インタリオの彫金する面は多様な形があり、最も一般的なのは楕円形、円形、そして長方形を選ぶことができます。そのほかにも私の親友の男爵家では必ず太い普通のリングに横に紋章を配置して彫金させるなど、その家々によってもちょっとしたこだわりがあるようです。また、メノウやオニキスなどに彫って金の台に取り付けることもあります。

次に着用する指を選びました。普通フランスでは左手の薬指に、イギリス式では左手の小指にはめるのですが、パイプを持った時の美しさなどから今回小指を選んで注文することにしました。指のサイズを測ってからサンプルの指輪を見せてもらうと、同じ円形でも台の大きさや、輪の太さが違うので、私はあまりごつ過ぎず上品なデザインを希望したところ、丁度良い大きさのサンプルを出してくれ、それをはめて確認しました。

                     インタリオリング(chevaliere)の数々

あまり日本ではインタリオ指輪をつけることはなく、よく彫金した印鑑指輪というのはどうも下品な傾向を持って眺められがちですが、紳士が着用できるのはこの紋章入り指輪と、結婚指輪ぐらいですので、決して下品なものではありません。紋章入り指輪は非常に歴史が古く、古代バビロニアやギリシアでも神々などを石に印刻して指輪に仕立てました。紋章になったのは中世ヨーロッパで騎士階級が勃興した中世以降になります。こういった起源のものですから、紋章入り指輪は、特に家紋が日本ほど全ての人にいきわたっていないヨーロッパでは、騎士階級以上の出自を示す誇りの象徴でもあります。以前ジョッキークラブという貴族が会員になっているフランスのクラブで会った若いグレラン侯爵のエピソードがその誇りを物語っています。

グレラン侯爵は、おもむろに、指にはめられたサファイヤに紋章が刻まれたインタリオリング (英語では signet、フランス語では chevalieres と言いますが前者はサインを表すsinature と同源の言葉であり、後者はそのまま騎士という意味ですから、お話した指輪の歴史的起源を物語るものです) を指差しながら、話をしてくれました・・・。この指輪は侯爵の祖父が持っていたもので、この方は大戦中にはナチスとその傀儡のヴィシー政権へのレジスタンスをしていたそうです。あるときゲシュタポの手配書の情報が入り、それによると侯爵を見分ける方法として、必ず紋章入りのサファイアのリングをしているというものでした。侯爵は身を守る為に指輪を外そうか迷いましたが、しかし代々受け継がれてきた指輪を外すということは、特に紋章が入っているだけに、それは彼の誇りが許す行為ではなかったのです。そのことをゲシュタポは知っていて、彼が必ずこの目立つ指輪を外さないであろうと読んでいたのです (インタリオはいろいろな石に彫ることができますが、サファイアに彫るというのは石が高価だけに滅多に見かけるものではなく、相当目立つことでしょう)。そこで侯爵は考えた末に指輪をひっくり返してつけて、紋章と石が手のひら側に来るようにして表には見えないようにし、ゲシュタポの追跡をはぐらかしたそうなのです。

このお話にもあるとおり、貴族にとってインタリオリングは非常に重要なもので、フランスの貴族のほとんどが老若男女問わずこの chevaliere を着用しています。しかし、私の友人はこれをしていませんでした。男爵位があり、母方がルイ・フィリップ国王の直系の子孫であるオルレアン家の出身なのに。以前会った時に彼は酔っ払って海で落としたと聞いていましたが、まだ作っていなかったのかと・・・。彼はすぐにその後作ったのですが今度は盗難にあってしまったということで、さすがにご父君も立腹でもう作ってもらえないから自分で作るしかないと、つぶやいていました。そこで彼もこの場で Agry に注文しようと思ったらしく、家名を店主に伝えると、革装丁の百科事典みたいな台帳を何冊か出してきて、検索していました。そして地下に下りていくと、一枚の引き出しを持って来て、その中には封蝋に押されたたくさんの貴族の紋章が並んでいました。以前にこの店で彫金した紋章はこのような形で全て保管されており、その中から彼は自分の家の紋章を見つけることができました。このような重要な物を扱う店ですから個人の情報は非常に大切に守られており、まさにこの小さな老舗の中には『生きている過去』が詰まっているのを実感しました。

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続く・・・