ステッキもまた過去の遺物となりつつある代物で、戦前でも廃れかけていた代物ですが、曽祖父は別に足が悪くないのにもかかわらず、いつでも細身のステッキを携行していたそうです。今ではステッキなぞを持って歩いていたらば、それこそ『変な人』であるばかりか、昨今のような物騒なご時世では『危ない人』と言われてしまうでしょう。しかし、私が唯一出入りしているバー、Le Parrin様では、主人が変わり者のせいか、お客も相当な粋人(というかいい意味で『酔人』と呼ぶのがふさわしい)の方々が多く、ステッキを愛好しておられるお客様もおられて、『洋杖復古委員会』なるものを作ろうと、一時は考えていたのですが、酒場においてはある意味ステッキは実利的な要素があると私も同意しておりました。Le Parrin様はフランス語でゴッドファーザーという意味ですが、かつては新宿3丁目の外れ、御苑の近くにひっそりと地下の禁酒法時代の地下酒場みたいな雰囲気で営業されていました。その頃は急な傾斜の階段を昇り降りしなくてはならないので、よく転びそうになりました。殊にカルヴァドスやコニャックを飲みながら、シャンパーニュをチェーサーにしているとあまりに幸せな酔い方をしてしまい、それこそ転んだ暁には『洋杖復古委員会』の設置を図ろうと妄言をはいたものです。

しかし、Le Parrin様は新宿の中心部のこぎれいなビルに今は移り、禁酒法時代が晴れて解禁になった風情で、エレベーターのドアが開くとまるでロンドンのプライベート・クラブのような雰囲気ですから、決してコニャックとシャンパーニュに足を取られて・・・という心配は当座なくなりました。しかし、幸せな酔い方をすることには変わらず、確かに店内を動き回るときに、一本ステッキがあってもよいのですが・・・。ただステッキというのは危険な代物でもあり、このエレガントな細い棒を振り回して相手を傷つけるという蛮行は言うに及ばず、決闘の原因になるということもありうるのです。

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』のシャルリュス男爵や、ユイスマンスの『さかしま』の主人公デ・ゼッサント公爵のモデルとなった倣岸な世紀末貴族ロベール・ド・モンテスキュー=フザンサック伯爵は、ステッキが原因で決闘に追い込まれたことがあります。有名な事件なのですが、決闘の相手は、このホームページのタイトルとなっている『生きている過去』の著者、アンリ・ド・レニエでした。事の発端は・・・ある慈善バザーの折、会場が火事になり、大混乱となった際に、会場にいたモンテスキュー伯爵がステッキを振り回して逃げようとする貴婦人方を払いのけ、あたふたと逃げ出したというデマに由来します。その後、あるパーティーの席上、伯爵はこのことをネタにされてご婦人方から揶揄されます。(「素敵なステッキをお持ちですが、これが火事のときに貴婦人を押しのけたという有名なステッキでしょうか?」)その場にいたレニエは面白がり、調子に乗って、こう言い放ちます・・・「君にはステッキというより(ご夫人の持ち物とされた)扇子のほうが似合うんじゃないか?」と。この屈辱に対し、とっさにモンテスキューは決闘を申し込み、そして傷を負うことになるのですが・・・。(この事件で一番私が面白く思うのは、決闘事件が社交界のうわさになったときに、モンテスキューの宗家の老貴族が、決闘する相手のレニエが決闘にふさわしい家門の出身かを一番気にしていて、モンテスキューの秘書であるイチェリに 「そのド・レニエというのはどこの者か?」と尋ねたところ、南米出身のイチェリは発言の趣旨を全く理解できず、パリのどこそこ街にお住まいのレニエさんです、と住所を答えたという顛末・・・まるでちょっとした喜劇のようで、面白い)

この事件の主人公のステッキというのは、確か青磁の柄がついた物で、コレクターとして逸品ばかり持っているモンテスキューもかなり気に入っていたようで、わざわざGiovanni Boldini作の肖像画に描きこませており(1897)、この肖像画ではステッキの柄の色に合わせたカフスボタン着用しているほどの凝り様です。

私の持っているステッキはそれほど古くは無いのですが、多分1910年〜20年代の物で、スネークウッドの木目も美しいのですが、何よりも取っ手の部分がシンプルで愛用しています。(といっても、冒頭にあるように、持ち歩きはしませんが・・・ただ、眺めているだけの品物ですけど)英国製の18金の取っ手ですが嫌味にならないすっきりとしたデザインで、最初はこれを壊して傘にしようかと思いましたが、取っ手以上にスネークウッドの方が今は貴重であることに気付き、歳をとったり、怪我をして必要になったら使おうと、部屋の片隅にひっそりと飾ってあります。

なぜ、急にステッキについて書いたのかというと、実は昨日足をくじいてしまい、今朝は歩くのもままならず、これはステッキデビューを果たせるかと、内心うれしく(?)思っていたからです。(実際のところは、週末から沖縄に行く予定があるので、行けるのかが心配なのですが) Le Parrin様ではいつもステッキの話題が出ると、持ち歩く為の口実にわざと怪我をしようかなどと、嘯いていたのですが、実際このような状態になると、ステッキなど使えるものではなくて、(あくまでも細身のエレガントなものなので、体重を任せる杖ではないのですから)これを新宿に飲みに出るときに持ち出して・・・などというおろかな真似はできそうにありません。しかし、もし、サイトの更新が止まったときは、私は愚かにもこの禁を破り、Le Parrin様で誰かと口論となり、決闘して療養する羽目になったと思ってください・・・。それもヴァンセンヌでもブーローニュでもなく、新宿ですから決闘の場所は御苑でしょうか(苦笑)

28th July 2004

ロベール・ド・モンテスキュー=フザンサック伯爵像 ジョバンニ・ボルディーニ作