Chapter 04
◆ Chateaux de Chatntilly
今回はどうしても訪問したいシャトーがありました。それはパリ郊外約40kmほど離れたシャンティイ城でした。なぜこのシャトーに行きたかったのかといえば、日記にも書きましたパリ伯爵紋章入りのグラスがきっかけです。友人のF画伯(超絶技巧の現代のバーン・ジョーンズともいえる画伯については近日中に別途ご紹介したいと思っています)が写真をご覧になって、以前にオークションのカタログで見たことがあると教えてくださいました。このカタログによればこのグラスはシャンティイ・サービスと名付けられており、シャンティイ城で使われていたグラスだということも判明。紋章はパリ伯爵ではなくその先祖のルイ・フィリップ国王の5男である Henri d'Orlean, Duc d'Aumale のものであることが分かったのです。すなわち自分は1929年にパリ伯となり、1999年に崩御された Henri Robert Ferdinad Marie 殿下(6世パリ伯爵)の若かりし頃のグラスだと思いきや、3世代も前のものであったことが分かりました・・・。自分の鑑定眼もいい加減なものです・・・。ただ、このグラスが前のオークションにかけられた時の出所はパリ伯爵だったわけですが(このオークションについては他の出品物に関しても思い出があるので、また別途書くことになります)。
ドマール公爵のグラス
帰国してからですが、10月15日にNHK世界美術館紀行でも紹介され、見てから行けばいっそう感動しただろうに・・・という思いでいっぱいでした。城の素晴らしさ以上に、この城を現在のような状態に作り上げた オマール公爵 (日本ではオマール公爵といわれていますが、あちらではドォマァールと発音していました) という人物についても良く触れられており、この魅力的な19世紀の王族についていっそうの興味と関心が掻き立てられたのです。フランス革命と度重なる19世紀のフランスの政争に巻き込まれながらも、彼の美に対する限りない愛着や、貴族としての真の誇りを持ち続けた真の意味での高貴さのお手本のような人でした。
今回の小旅行の案内役はいつも登場してくる高校の親友 ド・サンブーシー男爵で、彼はこのオマール公爵の兄から数えて6代目に当たります。彼の運転でシャトーまで向かいましたが、よく一族の間でもこの素晴らしい遺産をもし相続できていればと言っているそうですが、彼の一言は辛らつで、もしこの城を受け継いでいても、中の美術コレクションは少しずつ散逸し、シャトーは売り渡されてしまっただろうから、国家管理になって良かった、とのことでした。それでも彼はこの城を案内するに当たってまるで一族のシャトーを案内するかのような愛着がありました。(以前に彼と彼のお母様とでオンボロ・・・失礼!・・・2CV・・・シトロエンの大衆車で、日本ならばさしずめカ○ーラでしょうか・・・でヴェルサイユに行ったとき、たまたま駐車違反で捕まったのですが、免許証をお母様が見せたらば、警官が敬礼して『宮殿にお帰りでしたか!失礼いたしました!』と一言・・・切符は切られてしまったようですけれども・・・いまだにフランス人の一部の人に意識にはかつての王侯の陰が残っているのかもしれませんね)
シャトーは13世紀くらいにその基ができたそうですが、このシャトーの特異な点は初代城主のオルジュモン家以降19世紀まで売却されること無く、相続によって受け継がれてきたということでしょう。その華麗な歴史は高名なド・モンモランシー大元帥の居城となったことに始まります。領地と城は後にアンリ2世・ド・モンモランシーが処刑されて後、その妹であるシャルロット・ド・モンモランシーを娶っていたアンリ・ド・ブルボン・コンデ (1588〜1646)によって相続され、シャトーは 1830年に死亡するルイ・アンリ・ジョセフの代までコンデ公家の所有となっていました。この最後のコンデ公の妻マリー・ルイーズがこの Chapter の主人公であるオマール公爵の腹違いの兄弟であった為に、ドマール公爵が8歳で城主となったのでした。1848年の2月革命により第2共和制が施行され、オルレアン家一族は英国に亡命します。しかし、その亡命先で彼は美術コレクションを開始し、革命と混乱で散逸したフランスの美術の買戻しを始めました。中でもその収集品の中で注目されているのは、イタリアで売りに出された ベリー公のいとも豪華なる時祷書 でしょう。この書物は15世紀にシャルル5世フランス王の弟にあたる ジャン・べリー公 Jean de France, Duc de Berry によって作られた美しい祈祷用のカレンダーみたいなものですが、その製作においては貴石を砕いた顔料を使用しており、貴重な中世写本の中でも最高峰の作品です。度重なる革命で絶たれてしまったフランス貴族の文化遺産をどうしてもフランスに戻したかったという、オマール公爵の情熱が伝わってきます。(しかし、皮肉に思うのは、この写本は、最も過酷な税制に民衆があえぎ、その税を持ってベリー公の贅を尽くした美術趣味に奉仕していた時代の産物で、それを買い戻したオマール公は亡命中ですから・・・その美しき書物を手にしたオマール公の心境はいかなるものだったのでしょうか・・・)オマール公は1871年に亡命をとかれて帰国し、収集品を納めるために、革命で破壊された城館をフランス・ルネサンス様式で復興させました。内部の装飾もできうる限りフランスの貴族文化を復興させようとした情熱をうかがうことができ、マリー・アントワネット愛用の長椅子が置かれている部屋は、それに合うように様式や材質などを吟味した家具を新調させたり、どこまでがオリジナルでどこからが19世紀末のリプロダクションであったのか分からないほどでした。すこし余談となりますが、世紀末というのはどうも日本では退廃的な傾向を持ってのみ理解されてしまうのですが、吉田健一氏の『ヨオロッパの世紀末』という書物にあるとおり、見方を変えれば、フランス革命以降イデオロギーによって人間性が支配されるといった19世紀の息苦しさや社会のひずみを批判し、アンチテーゼを打ち立てた潮流であるも考えられます。ボードレールやアンリ・ド・レニエやユイスマンスなどの作家たちと同じように、オマール公爵も革命後失われた断絶感をいかにして復興させるか、立場や表現は違っていても、過去を探し出し、そこに自分そして社会のアイデンティティを希求したのでしょうね。まさにこのシャトーに漂う空気のすがすがしさは、豪奢なベルサイユなどとは違う、フランスのサロンで培われた貴族的 (オルレアン的) なリベラリズムと知性への敬意、そして美への礼賛を今なお受け継ぎそれに立脚した特異な美術館だからなのかもしれません。
特異性というのはただ過去を復興したという懐古趣味ではなく、それを継続し維持しようという姿勢にあります。オマール公は、直系の子孫がいなかったこともあり、全てをフランス学士院に寄贈しました。公自身も学士院の会員であり、晩年には上院議員としても活躍しましたが、寄贈の条件は決して作品を持ち出さないこと・・・というものでした。多分、散逸してしまったものをひとつに戻すことの難しさを知っていた公は、修復や貸し出しを理由にコレクションが散逸することを恐れたのでしょうか?もしかすると、コレクションにあるラファエロなどの見事なルネッサンス絵画や、アングルらの当時の『現代絵画』といったひとつひとつの名品よりも、これを買い戻しひとつに纏め上げた公の情熱と精神こそがひとつの見えざる芸術であると考えたのではないかと、私は思いました。絵画も19世紀まで一般的であった様式で展示されており、特に大展示室は圧巻で、時代順に掛けるのではなく、その作品の大きさに合わせて額縁が触れ合うほどびっしりと壁面にかけられているのですが、カンバスの大きさを基準とする展示方法は作品ひとつひとつの芸術性というよりも、集合体としての作品群の配置という、サロンで愉しむための芸術という、本来の美術品が持っていたオーラを良く引き出していると、私は考えます。この展示方法を変えてはならないとオマール公爵は寄贈の条件にしたそうですが、ほとんどの美術館が作品をまるで標本のようにしてしまうという愚考に対し、作品の見えにくさはあるものの、19世紀的な展示方法ですと、絵画が本来あるべきあり方で展示されていることの楽しさを伝えてくれると思いました。この展示方法は欧米のいくつかの美術館で実践されており、その好例はロンドンにある ハートフォード侯爵 のコレクションを屋敷ごと美術館にした Wallace Collection が有名ですが、このような展示に触れると、本来の絵画の役割は『芸術』を鑑賞し感性を豊かにするなどという無理やりとってつけたような貧しい感覚では理解しえず、ただ純粋に美しいものは感覚的に楽しいといった快楽主義に根ざしているものだと感じ、ほっとするのです。こういった収集を展示されている場所にいると、それだけでその集めた人の人間性や趣味といったものまでが生き生きと感じられてきて、そして最後に作品が引き立つのではないかと思うのです。 (ましてや名作を見るために整理券を受け取って行列し、立ち止まれば警備員に怒られるといった、収容所か刑務所みたいな環境でなにが愉しめるというのだろう!なにか『芸術』はいい物であって、それを理解するか理解したふりをすることがなにか『中産階級』の証であるかのような勘違いとおぞましさにあふれた『美術館』を私は唾棄すべき物であると思う) 私はこの展示室やシャトーにいて、ひとつひとつの作品の記憶よりも、それらから立ち昇り一帯を包んでいる公爵の情熱の微けき残光に呆然としたのでした。
まさにこのオマール公爵の精神を理解するがゆえに、友人のド・サンブーシー男爵が言った冒頭の一言があるのかもしれません。ひとつのグラスから、このような素晴らしい美術館にたどり着くというのは、なんとも不思議なものだろうかと、帰国して思い返すたびに感じました。
シャンティイイ城にて
サロン内部
シャトーのチャペル
時祷書