
Collection No.5 プリカジュール カフリンクス
c.1870〜1880 イギリス製
プリカジュール・エナメルは日本語では省胎七宝と呼ばれるエナメルの技法で、15世紀にヨーロッパで開発され、後期ルネサンスの金細工師であるベンベヌート・チェッリーニも好んで使用しておりました。アールヌーボー様式では幻想的な雰囲気から非常に愛好されました。普通のエナメル(七宝)と違うのは、オープンワークになっている空間にエナメルを流し込み焼成し固定するので、ガラス質の後ろ側に金属の下地は無く、ステンドグラスのような効果を得ることができるのです。
この作品では、縦横に織目のように走る鮮やかな青いクロワゾネエナメルの格子の中に小さな花状の彫金が施されておりますが、この花と格子の間のわずかな隙間に透明のエナメルが流し込まれております。写真では分かりづらいのですが、プリカジュールの部分はくすんだ水色で、光に透かすとステンドグラスのような繊細な美しさを楽しむことができます。
デザイン的にはプリカジュールの作品が多く残されているアールヌーボー風ではなく、ステンドグラスの雰囲気が合う、ゴシック・リバイバルもしくは、それ連動していたウィリアム・モリスのアーツアンドクラフトの雰囲気を色濃くたたえております。
ショーメの帝政復古様式のカフスボタンでも触れましたように、19世紀末というのは建築をはじめデザインの世界で多様な様式が復古し、過去のデザインが生活を彩っておりました。その反面、産業革命の成果から工業化した社会において、そういった過去の様式をいたずらに復刻しバランスなどを考えない醜悪な製品もあふれておりました。そういった現状に憤りを感じた社会主義者のウィリアム・モリスは、工業化される以前の工芸の時代をよみがえらせ、そのことによって職人の地位を上げ、且つ美しいものを廉価に販売することで民衆の生活を美的な観点からも啓蒙しようと考えました。社会運動としての成果は矛盾をはらんでいたために(職人の地位と生活を向上させるためには製品の価格を上げねばならない為に、結果として作品は高額になり、民衆の美的生活を向上させるという目的が達成できなかったのです)失敗におわりましたが、デザインの世界では、ルネッサンス以降芸術から一段低く見られていた工芸という分野の地位を引き上げ、その影響は今でもはかり知りえません。
一方ゴシック・リバイバルの流れは、18世紀の末に端を発し、最初は自然主義思想や文学の方が先でしたが、高度に発達していくヨーロッパの文明に対するひとつのアンチテーゼとして19世紀イギリスでデザインの世界に花開きます。ヨーロッパの近世はルネッサンスから(そしてルネッサンスの規範としていたローマ文明の呪縛)始まり、ルネッサンス以前のゴシックは野蛮なものとして退けられてきました。しかし、産業革命で興隆してきたイギリスでは、自国のアイデンティティーが問われるようになって、ルネサンスの延長にある古典様式(ローマを規範とするから古典なのです)が主流の大陸との相違を意識して、ゴシック様式が再び見直されるようになりました。(実際イギリスはヨーロッパの辺境で、古典様式はルネッサンス以降もスパイス程度の役割しか与えられず、本格的に古典様式が根付き発展することは無かったのです)そのいい実例がビックベンでおなじみのロンドンの国会議事堂で、当初は古典様式で作る予定であったのを、平面図はあまり手を加えずに装飾をゴシック復刻様式にして、ゴシックをリバイバルさせました。
モリスとゴシック・リバイバル、どちらがこのカフリンクスに影響を与えたかは判断するのは難しいのですが、どちらのデザイン上の流れも、ベクトルは違いながらも規範を中世に持っていることでは共通点があります。この作品でゴシック的な要素というのは四枚の花弁を持つ花の様式(建築史では quatrefoil といいます)で、このモチーフは建築のいろいろな処に使われてきました。特に金属でできているということを考えると、教会の内陣といわれるミサをあげる場所と会衆を隔てる衝立(17世紀のトレント公会議まではミサは秘儀で一般信者とはある程度の距離をおいておりました)を思わせます。
建築的な要素などゴシック的な美学を造形の上では感じますが、本来の目的とは違う用途(ここではカフスボタン)にデザインを援用するという感覚が非常に19世紀的であると感じます。

fig1.
表面のディテール