
1900年のプリンス
著者:フィリップ・ジュリアン
このホームページ上にも何度も名前が出てきている ロベール・ド・モンテスキュー・フザンサック伯爵の伝記です。偉人でもなく、何かを成し遂げたわけでもないのに、プルースト、ユイスマンス、ジャン・ロランといったそうそうたる作家が、彼をモデルにして小説を書きました。オスカー・ワイルドは自分自身の天才を作品に注ぎ込まずに生活に注ぎ込んだと言いましたが、ロベール・ド・モンテスキュー伯はワイルド以上に全身全霊をかけて自分の生活を芸術まで高めようとしましたが、この本に描かれる彼を追っていくと、下手な小説以上に文学的であり、彼自身がやはり芸術作品であったと感じずにはいられません。
フランス王室以上に高貴な家柄に生まれ、若かりし頃は彼の主催するパーティーには人があふれ、流行を作り、エレガンスの審判者 Arbites Elegantirum であったモンテスキュー伯爵ですが、晩年は不遇で、世間から忘れ去られていく様は痛々しく哀しいものです。輝かしき時代以上に零落していく方が印象に残るのはなぜなのでしょうか?オスカー・ワイルドも、ボー・ブランメルも、そしてモンテスキュー伯爵も、人生をある意味芸術作品とした人というのは、すべからく人生の末路は没落し、斜陽への道を歩むのが不思議です。そのような人は奇異な行動やウィットに富みすぎた発言で敵を作り、最終的には社会から抹殺されていくからかもしれません。ブランメルのジョージ4世を王とも思わぬ物言いが彼を最終的に窮地に追い込んだように、モンテスキュー伯爵もまた、非常に機知富んだ、それだけにその言葉の稲妻をぶつけられた本人の恨みを買うような発言をしていました。特にこの本に書かれている彼の発言で面白かったのが、ある仮装パーティーに行く際にロトシルト(ロスチャイルド)男爵に宝石を借りようとしたときの言葉でしょうか。男爵はその宝石を貸す時に非常に心配そうに 『この宝石は当家に先祖代々伝わる貴重なものであるから、十分に気をつけてくれたまえ』と言ったところ、モンテスキュー伯爵はそのもったいぶった態度に腹を立てたのか 『君の家に宝石があるのは知っていたが 先祖代々 なんていうものがあったのかね?』と金融貴族であった新興成金を揶揄したそうです。しかしかといって伯爵は反ユダヤ主義者ではなく、ドレフュス事件ではユダヤ人擁護派に回るなど、富豪のロトシルトの前ではその金力の前にひれ伏しながらも、陰では反ユダヤ主義者であったりするような、19世紀の偽善的な人間に比べれば、単に純粋で無邪気で真っ直ぐであったのかもしれません。ボー・ブランメルの王を小ばかにした発言や、モンテスキューの人をくったような態度は、もしかすると人生を芸術に高めようとする唯美主義者は、王権や金力などというもの以上に高貴なものを信じているのでしょう。
この本の冒頭は大革命以降のパリの貴族社会について非常に詳しく書かれた一章があり、これを呼んでいるとプルーストの『失われた時を求めて』のゲルマント大公家を取り囲むフォーブール・サンジェルマンの社交界についてよく分かります。また、作家だけでなく、ガレのような工芸家にモンテスキューがどれだけ大きな影響を与えたか、非常に分かりやすく、世紀末に興味のある方ならば楽しくお読みいただけると思います。